食品工場とJ-POP

食品工場とJ-POP



今から3年前のことだけど、僕は工場で働いた。手持ちの金がまったくなくなり、先の原稿料の支払いの予定もなく借金もできない状態だったので、京浜工場地帯の食品工場で働くことにしたのだ。ファミリーレストランなどに出荷する肉料理やスープなどを大量に造り、それを店で手早く調理しやすいように小分けにしてパッケージしていく作業が、オートメーションという言葉にぴったりの動きをする機械とともに、その工場では行われていた。


中国人、フィリピン人、アフリカ人、そして日本人の数十人の労働者が同じ白衣を着て白いマスクを付けて作業を行うのだった。白を基調としたまさに食品工場の労働者の姿、この姿で同じような身振りで働くわけだが、それはひとつの集団ではない。中国人たちは他の国の人間と違って早朝から夜中までという信じられないくらい長い時間働いていたし、また中国人同士には何かしらの反目があり、たとえばトイレが汚れていれば「あれは福建省の人間がしたことだ!」という言葉が飛び交い、フィリピンの女の子たちはどこか陽気でバレンタインの日にはどんな男たちにもチョコレートを配り、もらったくせに「こいつらはフィリピンパブみたいだな」という日本人の男は嘲り、アフリカの背のすらりとした女の子は休憩室の暗がりで携帯電話をみつめていて、その黒い肌を照らす携帯の光はなんて美しいんだろうと僕は見詰めていた。そんな自分を背後から見ている視線を感じて振り向くと、仕事が出来ない新人の中年男の失敗を執拗に注意するやはり同じ日本人の中年男、自由劇場の性格俳優、笹野高史そっくりの男が立っていた。機械を中心とするオートメーションの工場で、まるで機械のように働いているというのに人間たちはやはり機械などではなく実に愛嬌があり醜くエロティックで、そして時に悪意たっぷりの顔をする者たちだった。


このような者たちが機械ごとにいくつかのグループに別れて作業が行われる。たとえば大きな牛肉の固まりをスライスする機械があり、その薄い肉片はベルトコンベアに落ちて移動する。それを一枚一枚とってビニール袋に入れ、決まった枚数が入ったら横の台に置く、そこにはそのビニール袋を真空パックするためのビニールをプレスする係の者がいて、作業を手際良く行い、またその横には真空パックを箱詰めする補助的な仕事をする人間がいるという具合だ。その作業の要所、たとえば肉切りやパック作りを行う者と補助的な作業を行う者の関係は中国人の場合は夫と妻であったり、男とその恋人であったりするのだが、その前近代的な関係性は過酷な労働をより過酷にするようで、横にいるだけで疲れていくものだった。
工場では、このような集団の労働が機械毎に行われ、ファミリーレストラン向けの肉料理やスープなどが大量に作られパック詰めされていくのだった。


そしてサウンドである。
機械毎に機械に合わせた集団の労働が同時に行われている工場内に、かなりの音量で音楽が流れているのだ。
流れていたのはJ-POP。
若い音楽家たちが同年代の人間に向けて作った、恋の素晴らしさを唄い、人を励まし、陽気に踊らせる音楽が続けざま流されていくのである。
巨大な牛肉をスライスしていく機械の動きに「君の瞳の輝き」を歌う唄声が同調し、ベルトコンベアの肉片とともに「明日からまた歩き出していこうよ」の言葉が移動していき、いつ失敗するのかと執拗に監視している笹野高史に似た男の頭上に子供じみた反抗のラップのライム、常に何かに怒っている顔をしている中国人の夫と従順なその妻の作業に稚拙な打ち込みのリズムが鳴り響く。そして全体として、このJ-POPのサウンドは食品工場の集団作業にぴったりなのだ。


J-POPは最低の音楽だ。僕はその時、心底感じ取ったのだった。
僕は音楽を愛しているから、様々な音楽を聴く。だから今の若い音楽家たちが作ったポップスもよく聴くし好きな曲もある。
その素晴らしさについて、友人や恋人と話したい曲を数曲あげることもできる。
だがJ-POP全体は最低の音楽だ。
それはあの酷い工場労働にぴったりのサウンドだったことによって証明された。


僕はロックが学校の教室で話題になるようなことが稀な時代に、はっぴいえんどはちみつぱいなど、今のJ-POPの原点となるようなバンドに出会い、それを愛してきた世代なので、「J-POPは最低の音楽だ」と認めることはとても哀しいことだった。
哀しくて哀しくて、僕を執拗に監視する笹野高史をその場で殴りつけ、いつも片隅で静かに働いているアフリカの女の子の手を引いて、工場から脱出したいと思った。しかし、そんな時に流れてくるが、この音楽なのだ。
メイナード・ファーガソンの「ロッキーのテーマ」


これをどう解釈したらいいのだろうか。多分、工場でずっと流していた音楽は有線だと思うのだが、ずっとJ-POPを流していた放送が、ある時間になると決まって「ロッキーのテーマ」になるのである。
午前中であれば9時、10時、11時、12時。
工場で働く僕たちは、そのサウンドを聞くと、「ああ、やっと一時間たった、昼飯まであと二時間だな」などと思うのである。僕だけじゃない、中国人もフィリピンもアフリカも、あの笹野高史もそう思っていたはずだ。
なんという残酷な音楽構成だろう。人生に失敗し貧しく惨めな男が、再起をかけ、もう一度希望をもち力強く生きていこうとする、そんな映画に流れる音楽を「ああ、やっと一時間たった、昼飯まであと二時間だな」と思わせるように聴かせる、その手口。
もし「悪魔のDJ」というものが、この世に存在するとしたら、この音楽の選曲はそいつが行ったものだろう。しかし、そんなDJはいやしない。それが悪魔ではなく人間が実際に行ったのだという事実に僕は恐ろしくなる。
僕はその残酷さに押しつぶされ、あの男を殴り倒すことも、アフリカの娘との恋もあきらめてしまう。惨めに屈してしまう。そしてJ-POPへの憎しみだけが僕の身のうちに燃え上がるのだった。


そうだ、あの音楽の話もしておこう。
オートメーションの機械のリズムに妙にシンクロしているJ-POPの連なりの中で、何故か3時間に1回くらいかかる、特異な曲があった。「千の風になって」である。僕が工場で働いていたその時期は、まだその曲のヒットが残り火のようにあった季節だったので流していたのだろう、「がんばれ、がんばれ」の歌詞やせわしないリズムの音楽の連なりの中で「私のお墓の前で泣かないでください。そこに私はいません」という言葉をゆったりと唄いあげる音楽は、やはり異質なものとしてあった。
この歌は大ヒットしたにも関わらず批判する人が多い。大手広告代理店で働いた者は呪われてもしょうがないと僕は思っているので、批判が多いのもなんとなくわかるのだが、あの食品工場の労働をしながら聴く「千の風になって」は素晴らしかった。
J-POP全体の最終メッセージが「元気に働け」なのだと、単調で疲弊していく労働の中で肉感として納得し、それが疲労とともに入り込み、それに屈しようとするその時に天上から下りてくる「私のお墓の前で泣かないでください。そこに私はいません」という死者の歌声は実に甘美なのである。
元気に働かされる今この時の国、この向こう側、彼方にある死者の国は、実に美しかった。午後遅い時間、疲れていればいるほどそれは美しかった……。


しかし、それは夢だ。教会の礼拝は日曜だけだ。音楽は終わる。
そしてまたJ-POPのサウンドがけたたましく鳴り響く。
巨大な牛肉をスライスしていく機械の動きに「君の瞳の輝き」の唄声が同調し、ベルトコンベアの肉片とともに「明日からまた歩き出していこうよ」の言葉が移動し、いつ失敗するのかと執拗に監視している男の頭上に、子供じみたラップのライム、常に何かを怒っている中国人の夫と従順なその妻の作業に打ち込みの稚拙なリズムが鳴り響く、この騒々しいJ-POPの生産現場