アメリカンヴィンテージと動物の干物


アメリカンヴィンテージと動物の干物

ある夕方、一人の男と出会った。アメリカの古着を売っている店をかつて経営していた。年齢は50代後半だろうか。生ビールを呑みながら男はこんな話をした。


「店の若いのをアメリカに行かせて買い付けの旅をさせる。一月くらいの期間で年に2,3回行かせていた。そんな仕事をして数年たつと、そいつの顔つきが変わってくるんですよ。元々は原宿、アメリカンヴィンテージものの店で働くオトコノコだ。自分で雰囲気の統一感をつくることもできるしキマッテいる子なんだ。顔はまあ美男子じゃないが髪型なんかでうまくまとめている。まあモテルでしょ。
そいつの顔が変化していく。
そんな野郎に久しぶりにあって顔を見る、相手はいつものように、あ〜ど〜も〜シャチョーなんて前と変らずいっているけど、その顔の統一感がなんだか崩れてる、前に会った顔とはどこか違うんだ。
崩れているのは、表情の一部がこわばっているからで。そのこわばりは、リーゼントの額の横に動物の干物のようなちょっと濃い茶色の少し硬めの皮膚がちょろっと出来てるからなんだ。
それを見るたびオレは、はあ〜と思うよ、いつも。
その硬くなった皮の部分を始めとして、顔が少しずつ変わってくるんだからね。なんというか、今風の小顔のオトコノコがこれをきっかけにして変っていく。最終的にはフィリピン人と大阪の場末を歩いている日焼けしたオジサンが混ざりあったような顔になるんだね。
1センチにもみたない小さなものですよ。だけど、俺はリーゼントの額に小さな動物の干物の皮を見つけると、すぐに思うわけよ、
ははあーん、こいつもケーケンしたんだって。


うちの店に来るような子はアメリカにあこがれている。ミッキー・カーティスさんの時代じゃないんだから、東京だってそんなにわびしくはない、あこがれるこたぁーないのに先輩たちが日劇のロックンロールにあこがれてたのと同じようにアメリカに夢みてる。そんな野郎がアメリカに実際に行って見れば、先輩と同じように、そして俺と同じようにアメリカにうちひしがれるんですよ。興味深いことに。
うちひしがれるといっても、細かく見れば、俺たちの時代とは違ってるね。
俺たちのうちひしがれ方は、バラ色のガラス器が割れるような仕方だったもん。
だって冷蔵庫を開ければいつも大きな牛乳瓶があり、そこからゴクゴク冷たいミルクを飲んでいる金持ちだらけの国だったはずなのに、行ってみれば、それはひどいホテルの部屋の汚いキッチンのガラス窓で。そして共同で使う冷蔵庫に飲み物や食べ物を入れておけばすべて同じ泊まり客に盗まれてしまうんだから。足下のタイルに散らばっていた牛乳瓶の破片を今でも俺は忘れないよ!


今の若い奴のはこれとは違う。白人女にうちひしがれるんだな。割れたガラスの断片ではなくて、それは人の肌に変化してるんですね。時代の変化です。
たとえば、こう。レストランで金髪の女が自分の前を通り過ぎていく。まったく自分を意識しないで。わざと知らんぷりしてんならいい、しかし、これは違う。まったく俺などいないという顔をして歩いていくんだよ。視界に自分がいないんだ。昔も今もそうだけど、白人の女にとって日本の男なんて埒外さ。
留学生? わかんねーなー、買い出しの商人には。商人は西部劇の時代の中国人のコックと変らないでしょ、今でも。
まあ、無視されても、そうされても別にいいぜと俺たち日本男児は思うんだな。遊びに来たわけじゃない、買い付けのために来たアメリカだ。別にPLAYBOYのピンナップの女の子が好みじゃあない。カンケーネエなんてな。どんな野郎だって思うよ。
俺たちの時代と変わんねーよ、今の子だってさ、男の問題は普遍的なんだからさ、わかるでしょワタナベさんだって。
今の小顔のオトコノコもそう、同じ、アメリカに行って白人の女に無視されればヘッ!なんて思うよ、ヘッ!なんて思うのだけど、壊されてんだよ、完全にハートが。
埒外を態度で示されるというのは、男にとってはやっぱりきついことなんだな!


ワカイモンが傷心の思いでホテルに帰る。階段を昇るブーツの足取りも重たい。そういや、デニムを何百本も埃ぽい倉庫でチェックし続けた一日だったんだってな。
そんな時だ、安ホテルで働いているヒスパニックの女の子が何か水仕事をしながら、微笑みかけてくれんだな。
中南米の女の子の微笑みってのは独特なんですよ、暗いんだよ〜スペイン人ってほんとに徹底的に酷いことをしたんですね。ものすごく酷いことをされた後に放心して、ぼんやりつったっている女の瞳の暗さがあって、でも唇は自分に向って微笑みかけてんのさ。
やっぱり、そりゃあ、ハートが揺り動かされますよ。それで声かけちまう。
まあ、女の子の方にも笑いかけた理由があるのだけど、それはそれ、おつきあいが始まるというわけだ。しかし、こちとら買い付けの旅だから、一カ所にずっといるわけにゃいかない。次の日の朝のベッドで別れることになる。関係はすべからく短いものだ。しかし、そうした女とのつきあいでも何かをやっぱり残すんだな。


ロードサイドの食堂でウエイトレスと交す自分のいい加減な英語を聞いて喜ぶその女の子の笑顔、買ってあげた下着を身につけた時の戯けた身振り、持っている手鏡のとても細やかな銀細工、尾てい骨あたりに彫られたやっぱり日本とは違うタトゥー、ファラチオをする時に決まって垂らす唾の今まで味わったことのないような粘り気、ふと目を覚ますと暗がりの中、携帯電話の光が照らす彼女の黒い瞳……。
そんなケーケンがウチのオトコノコに何かをのこしちまうんですよ。
それがあれですよ、成田空港の到着ロビーかなんかで、痒い〜な〜なんて顔をこすってみるとできている動物の干物のような皮、リーゼントの額のところにね。
それは1センチも満たないものだよ、だけどそいつができると顔が確実に変りはじめるんです。なんていったらいいんだろうな……やっぱりそう、フィリピン人と大阪の場末を歩いている日焼けしたオジサンが混ざりあったような顔になっていくんです。
オレは関西が嫌いだから一度もいったことがないから、知らないけれど、心斎橋の近くにはアメリカ村っていうのがあんでしょ、あそこはそんな顔をした商売人がいっぱいいるところじゃないかな。不思議なことにそんな顔になりだすと、商売がいっぱしにできるようになるんですよ。だからね、そいつは店長候補です」