浅川マキ、代々木忠

レヴュー「喫煙の仕草は何を意味するか----DVD「浅川マキがいた頃」について」


 このDVDを手渡された後、下北沢の老舗の音楽喫茶「いーはとーぼ」に行った。マスターの今沢裕さんが浅川マキと親しいことを知っていたからだ。


 2010年1月17日、浅川は名古屋の「ジャズイン・ラブリー」での仕事で宿泊していたホテルで、予定の時刻に現れないことを不審に思った店の人間によって発見されたという。今沢さんが知り合いの店の従業員から聞いた話だ。情報を調べるためにネットで検索はけっこうするが、彼女の死はこうして確認したかった。


 このDVDは、浅川が生前に発売を目指して製作していた作品だ。ライブ映像を中心に、映画館(池袋・文芸座)、ライブスポット(新宿・PITINN)、バー(新宿・ふらて)といった空間それ自体が魅力的に映し出されている。
 浅川の立ち位置は、ジャズとブルースをバックボーンにしたシャンソン歌手というものだが、約40年の活動の中で多彩な音楽表現をしていた。ここでも植松孝夫、渋谷毅、セシル・モンローたちとのジャズ・セッションの他に、元ルースターズの下山淳が強烈なギター音を響かせるロックをバックに唄う彼女の姿を見ることができる。   


 ライブ映像の間に原田芳雄柄谷行人が登場する。浅川はこのような男が好きだったのだろう。暗がりで酒を飲みながら寡黙に語り、時に熾烈なことをしてしまう男。こうした男の噂は、映画館や店に屯す人間たちによって伝えられていく。浅川が選んだミュージシャンたちも、最初このような「噂の男」として彼女の耳に届いたはずだ。


 彼女は楽屋でバーのカウンターで、うつむき、そしてひたすら煙草を吸い続ける。ネット環境に耽っていて忘れていたが、それは新たな情報をキャッチしようとしている仕草なのだった。


「浅川マキがいた頃 東京アンダーグラウンドーbootlegg-」(EMI MUSIC JAPAN
(このテクストは、2010年の「嗜み」NO7<発売=文藝春秋>に掲載された)



小説『代々木忠について』

「チュー!」
突然、目の前の痩せた映画監督がいった。
「チュー!」
その横の眼鏡を掛けた映画監督もわざとらしく口をとがらせいったのだ。
「代々木〜?」
そして恰幅のよい映画監督がそういった拍子に三人は一斉に笑ったのだった。俺の名前がそんなにおかしいか?


 ここは新宿の弁護士事務所。明日から日活ロマンポルノ裁判の公判が始まるというのに、三人の映画監督はふざけているのだ。共産党本部のある街と、ネズミの鳴き声の組み合わせが面白いのだ。俺以外は全員東大出、こんなことで笑っていていいのかと思ったが、打ち合わせの内容がよくわからない俺はただ黙って会議につきあうしかなかった。


「創造主体無視の弁論」「猥褻を如何に組織できるか」「映像芸術論すら解体せよ」……俺にとってはやたらメチャクチャな言葉が、ただでさえ狭い事務所にまき散らされ、三人の映画監督は口から泡をとばしながら、その言葉をいじっていく。ちっともいやらしい映画を撮れないくせに、言葉のいじり方はそれこそ猥褻で、聞いているだけで暑くなり、実際、事務所は、夏のようだ。開襟シャツの弁護士先生が名画座の名画のように団扇を使っている。畜生、何もかも撮影所みてえに古くせえ! 気づいたのか弁護士先生、「ランニングの兄さんも監督さんだったのか」それを聞いて三人は「チュー!」「チュー!」「代々木〜」とやって、また大爆笑。


……あれから10年。あの三人はどうしたことやら……。俺は旅館の一室で女を前にしてこんなことをいっている。
「暑くないかい?」
 女は首を振る。確かにこの部屋はさっきからクーラーが効き過ぎている。
「だけど、暑くないかい? それ取ろうか?」
 繰り返すと何故か女は上着を俺に渡す。その時、テクニックとして女の肩に触れるのだが、それは確かに熱い肌。
 振り向けば髪の薄いカメラマンも痩せた音響も、そして俺も青褪め震えていて……チャンスだ、男たちが目だけになる時間がやってきた。それを逃すまいと、俺はカバンから取り出す。それはウィ〜ンと音を出す。その音の背後に俺たちは固唾を飲んで全員隠れた。


……それからまた10年。恵比寿の真っ白いビルのワンフロアーで、俺はうちの会社で働きたいという青年の面接をしていた。慶応大学に入ったのはいいが、広告代理店のようで何の希望もなかった。俺の言葉で救われたのだという。
 もっともらしいことをいっているが、こいつは「同時に撮っているな」と俺は睨んだ。目ではなく、あの空調の位置から見ていやがる。薄々気づいていたことだが、ここまで浮かび上がったのか、昔だったら神棚の位置だ。今、興味あることは?と聞いたら「地球温暖化です」


「嘘だ。絶対暑くなっていない」といったら、こいつは薄ら笑いをして浮上していった。空調の位置が海面か。アニメだな。空調の空中の慶応ボーイが「チュー」と口をとがらせた。そう、俺は貨物船のネズミ、そろそろ逃げ時だとわかっていた。