海の家時間

海の家時間
2013年10月、僕が仲間と編集していたメールマガジン「高円寺電子書林」が休刊になりました。
以下にpostしたのは、2012年8月号に掲載した「海の家時間」という記事です。


2012年8月、葉山の海の家で、プルーストの『失われた時を求めて』をテーマに、対談を聞いたり、みんなで話合ったりする
「海辺のプルースト」という小さなイベントを行いました。


対談をしたのは、夏葉社の島田潤一郎さんと校正者の大西寿男さん。
島田さんは20代の時に「あたかもノルマのように日々プルースト読みをひたすら続けたという」人、
高円寺電子書林の編集部仲間でもある大西さんは、校正者として、ゲラで全編読みきった人。
お二人の対談は、なかなか聞きごたえがあるものでした。


メールマガジンの特集は、その対談の抜粋(構成・北條一浩さん)と、僕の原稿「海の家時間」で構成されています。


ここでは後半の僕の原稿だけ載せます。
どうぞ、読んでみて下さい。


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●海の家時間
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 とりとめもなく語った言葉を記憶する

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 ○参加者のみなさん

 *構成/渡邉裕之
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 この夏、8月7日。僕たちは、神奈川県の葉山にある一色海岸に建つ海の家にいた。
 この海岸は葉山御用邸の裏手にある。たぶん、皇宮警察警備体制と関係していると思うのだが、海水浴場がもっている猥雑さが薄い。東京からそれほど遠くない割には、どこかおっとりした美しい砂浜だ。

 
 プルーストの『失われた時を求めて』をめぐる対談をし、その後、参加者が思い思いの話をする会を、海の家で開こうと考えたのは、浜辺だったらリラックスできると考えたから、そして、この建築物が「時間の流れ」というものを深く感じさせてくれるという思いがあった。

 
 1990年代後半から、葉山の海岸を筆頭に新しい形の海の家が注目されるようになってきた。従来の海の家と違うところは、カフェに近いくつろいだ空気感覚をもったスペースであること。そして、海の家の若いスタッフたちの、バブル崩壊以降の再生デザイン文化を踏まえた、セルフビルドによる建築物だということが最大の特徴だ。

 
 彼らは夏が近づくと浜辺で小屋を作り始め7月上旬に店を開く。夏の間、人々は家族や友人、恋人と連れ立って浜辺の小屋に集まってくる。海を見ながら料理や酒を楽しんだり、音楽を聞く。

 8月の終わり、夏を惜しむ人たちが集うパーティー。そして次の日から解体工事が始まる。ただ壊すのではない。来年のことを考え、部材がまた使えるように配慮し解体する。そして浜辺から離れた場所にある倉庫への収納作業。収納の順番は、建設時の最後にセッティングされる食器類が最初で、一番に立てる木の柱が最後だ。終了の作業に来年への準備が含まれている。


 彼等の労働を見ていて、僕がいつも思うことがある。季節の巡りとともにゆったり動いていく「時のサイクル」だ。


 海の家は、夏だけ存在する小さな仮設の小屋だが、そのことによって「時間」を強く意識させる建築物なのだ。


 記憶をめぐって書かれている長大な小説、『失われた時を求めて』、その書物について語りあう場所として、僕たちは海の家を想定した。


 海辺はゆっくり時間を味わえそうだった。そこに建つ海の家は、夏が終われば消滅し、秋以降は僕らの記憶だけのものになる。プルーストにはぴったりと思えたのだ。


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 プルーストの後は、ただただ言葉を交わして


 当日の夕方5時30分、僕たちは一色海岸の海の家「UMIGOYA」に集合した。目の前には相模湾、その景色の右の方、夕陽は傾いていて、伊豆半島へと落ちようとしていた。


 集まったのは10人、対談をする夏葉社の島田潤一郎さんに、大西さんを含む僕たち「高円寺電子書林」編集部4人、それに編集部がお誘いした5人の方たちである。


 小屋というよりは木で組んだ大きなテラスのような海の家の奥の席に、僕がみんなを案内していると、この土地の友人と目があって、「おっ、東京人ぽいなあ〜」といわれた。上半身裸でビーチサンダルのあなたには、長ズボンに革靴の人もいる私たちは、そりゃ〜無粋な都会人でしょ、そんな私らがここで読書会をやっちゃうんだからね、と心の中で呟く。


 あっ、さっき大西さんが海の家のテーブルにうれしそうに並べた『失われた時を求めて』全13巻(集英社)を、もっとうれしそうな顔をして撮影をしているメンバーがいる。背中のビーチサンダル親父の皮肉な視線を意識しつつも、うわ〜、この歓びわかるな〜と思った瞬間、「海の家でプルーストを読む」企画に没入してしまった。


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 「この小説は、記憶を扱っているのだけど、思い出し方が小説のプロットとして思い出すのではなく、うまくいえない思い出し方で行っていて」や「京都のお寺でお墓参りした時も校正をしていて」「長編を書かなかった吉行淳之介は、長編を書くには目を瞑るところが必要だといったんです」「だったらプルーストは目を瞑っていない」そんな言葉が、潮風に流れていった。


 話の途中で夕陽が伊豆半島の山々に隠れ、それこそ「誰そ彼?」の暗闇になり、小さな電灯が点され、テーブルには奄美をテーマにした料理が並べられていく。


 島田さんと大西さんによるプルースト対談が終わった。けっこう聞き入ってしまったね、そういえば誰の携帯も鳴らなかった、めくるめく展開でした、それは大げさな! と笑いながら話しながら、ある人はバーカウンターにビールを買いにいき、ある者は、もう真っ暗闇の砂浜に降りていった。


 しばらくして、みんながそれぞれテーブルに戻ってきて自己紹介をしながら雑談が始まった。ひょんなことから「荒川遊園」の話になった。荒川遊園は、都電の荒川線の沿線にある「散歩の達人」購読者が好きそうなシブイ遊園地だ。誰かがキングレコードが発足したのが荒川遊園の場所だったんじゃないかなといってSPレコードの話をしだした。


 参加者の一人、書評紙の会社に勤めている高田雅子さんが、「今でもアナログレコードを作り続けている会社のフリーペーパーを、前に編集していたことがあるんですよ」という。話を聞くと非常に面白そうな内容だ。それから「高円寺電子書林」編集長の北條さんや大西さんがLPやCD、レコードの溝についての話をしだす。たぶん、先のプルースト対談に影響されているのだ、時間をパッケージする入れ物の話を僕たちはしている。


 本好きが集まったのだから、当然、記憶をパッケージする書物の話に流れていく。それが転じて書物が生み出す時間について。大西さんが組版と時間の関係を話す。タテ組とヨコ組では読むスピードは違うということ。その理由はまだわかっていなくて可読性という仮説がひとつあるらしい。人間の目は上下に動くのが苦手、左右に動く横組の方が速いスピードで読めるという。が、と大西さんは続ける、日本人はタテ組に慣れているから、そのスピードの差は他の文化の人とは違っていて……。


 組版の話の流れで、参加者の一人、詩の勉強会「ポエトリーカフェ」を主催しているPippoさんが、島田さんの夏葉社から刊行されている『さよならのあとで』(ヘンリー・スコット・ホランド著)に触れる。一編の詩だけを一冊にした書物だ。1ページ1行というページもあり、そして白ページもたくさんある書物。「一編の詩はひとつの世界なんだけど、一行にも世界があることを感じました」とPippoさん。


 書物というモノ自体に関わる時間ということなのか、北條さんが「古本の世界で初版でなければ買わないという人がいますよね、あれは何なのかな」という疑問を口にする。西荻古書店音羽館のスタッフである青年、今野真さんが、「ザ・ファーストが一番偉いという価値観からきているんでしょうね。その価値観はきっとものすごく古くからあって、それこそ西洋近代以前、プラトンイデア論ではないですけど、ザ・ファーストから時間がたつほど、本質から遠ざかっていくという考えがあるのでは」と語った。


 なんかすごい意見じゃないか、彼はフランス映画を研究していたそうだ。その後、話はどんどんそれこそ本質から遠ざかっていったのだが、そうだ、時間と本に関する印象的な話がそこであった。


 吉祥寺の書店に勤めている服部ユキさんは、「私、人を待つことがぜんぜん苦にならないんです」と話した。それから「前に、本を読んで、私を待ってくれていた人がいたんです。私はその時、読書しながら待つ人の姿というものを初めて見たんですが、その佇まいがとてもきれいでした」と語った。今、この話は改札口脇に立って本を読む人の映像として、僕の記憶に残っている。


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 ◆読書会の仲間が醸しだす時間を求めて


 このメールマガジンで読書会をしてみたいと思っていた。読書会をリードしてくれる人物も大事だが、メンバーの日常の「時間」が大切だと考えていた。


 今、僕たちは本が読めない。自分が本当に読みたい本をゆっくりと考えながら読む「時間」を失っている。


 忙しい日常の中で、なんらかの工夫を個人的に行って読書の時間を作っていくことも必要なことかもしれないが、ゆったりとした時間、考えられる時間は、ある共同性がないと生み出せないのでは、と思っている。


 僕は自由ラジオ局とか劇団とか、同じアパートの仲間たちとか何組かの集団で生きた経験をもっている。そこにはその集団特有の時間が流れていた。こうした経験を踏まえていうのだけど、読書会の仲間たちを上手に作っていけば、そこに特有の時間を醸し出すことは可能だと思う。


 しかし、問題は、喫茶店か何かで行われる読書会の時間以外の時間、読書会のメンバーそれぞれの日常で、その会独自の時間が流れていくことができるかということだ。
 都市でバラバラに暮らす僕たちが、読書会とメールマガジンを使って、ある流れをもった時間を共有することができないだろうか。


 メルマガ編集部のコアメンバーは、フリーランスで生きている者たちだ。劣悪な条件の労働を強いられることもあるが、時間はまあ自由に管理して生きてきた。


 僕は、こうして生きてきた知恵を、書物を作るというよりは、書物を取り囲む今の人々の暮らしのために使ってみたい、その一つに時間への取り組みがある。
 (このあたりは、編集部の集団的考えというよりは、ワタナベ個人のものです。)


 読書会ではないけれど、僕たちはこの対談+雑談の会を、こうしたことも考え開いていた。


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 ◆夜の闇と選ばないこと、そして海を渡っていく家


 夜が深まっていく。いつのまにか島田さんがいないことに気づいた。どこにいっている? しばらくすると戻ってきた。


 「煙草を買いにいって道に迷っていたんです。葉山の夜はすごく暗くて。そしたら花火をしている外国人がいて、『煙草屋はどこですか』と聞いて教えてもらいました。暗い松林を歩きながら、この時間のことは忘れないだろうなと思っていました」


 北條さんが何かを思い出したみたいで話しだす。「鎌倉で、肝試しみたいなことをしたことがあるんです。外灯もないような場所で……鎌倉の夜は暗くて怖かったな〜。本当に何も見えなくて。あの闇の時間は忘れられない」


 Pippoさんが「恐怖ってのはね」といってこんな話をする。「メアリ・ダグラスという文化人類学者の『汚穢と禁忌』(思潮社)という本があって、そこで恐怖を解明する文章があるんです。人は切った髪の毛や爪を怖がる。それは何故かというと、自分の体に付いていたものが切り離され外部にあると、人はそれを理解できない。だから切られた髪や爪を怖がるといってるんです。闇に対する恐怖もそれに近いところがあるんじゃないかな」


 そこで話を止めるのが怖いのだが、Pippoさん……。人の肉体には切り離すと闇となってしまうようなモノがあるということか……すごい怖いじゃないか。浜辺は真っ暗闇だ。
 詩を書いている首都大学の大学院生、篠田翔平さんが口を開いた。


 「先日、東京都写真美術館で開かれた、写真家の川内倫子さんと現代美術作家の内藤礼さんのトークショーに行ってきました。内藤さんが一番に聞いたことが『川内さんにとって選ばないことって、どういうことですか?』ということだったんです。写真を撮らない瞬間についての、それはなかなか答えられない質問でした。川内さんも困ってしまって……やはり撮る瞬間、選ぶ瞬間のことしかいえないんですね。それで記憶のことなんですけど、『これは覚えている』という瞬間があるんですね。では、『覚えてない』ってことはどういうことなんだろう? と思うんです。『覚えている』ことは、今の僕たちみたいに喋ることができるけど、『覚えてない』っていうことはどういうことなんだろう。プルーストとか読んでいると(1巻しか読んでないんですけど)『書かれること』と、『書かれないこと』と、そこの境目がわからない。選択っていうのをしていないと思えるのです。ここは書くけどここは書かない、あるいは、この消えている部分をこの書いている部分で代用しようという思考法ではない。そう思えるんです」


 それを聞いて、高田さんが、「選択」をテーマに研究活動を続けている学者、シーナ・アイエンガーについて語りだす。


 「篠田さんの話から、コロンビア大の心理学者について思い出しました。彼女は小さい時に目を患って全盲なんですよね。しかし、選択肢が限られていたからこそ可能性が広がった、自由になれた。そして大きくなって人間の選ぶという行為に興味を持ち、研究をはじめたそうなんです。その前の闇の話も関連させて考えると、彼女は闇の世界で『選択』について考え、そして自由を得たということになりますよね」


 海は真っ暗で、見えない分、海の広がりを強く感じる。波の音だけが大きく轟いている。


 そういえば、さっき北條さんがある映像の話をしていた。昨年の東日本大震災津波によって様々なモノ、そして人が海にさらわれた。彼が見た映像は、「家がそのまま家のカタチをして太平洋を渡っていく映像だった」という。


 「不謹慎かもしれないけれど、美しいと感じました。忘れられない映像です」


 家は人に強い印象を残すカタチなのだと思う。家族の記憶をパッケージしたカタチは忘れられなくなる。


 「だから、海を渡っていく家を見て北條さんは感動したんじゃないのかな」と僕はいった。


 人に強い印象を残すカタチがある。その一つが家で、それから書物があると思う。この日、参加者の何人かが、テーブルに並べられていた『失われた時を求めて』全13巻を撮影していた。海辺をバックにそれは魅惑的なモノだった。


 しかし、書物は撮影したが、この海の家の建物を撮影した人はいなかったんじゃないかな。でも海の家という言葉がみんなの頭の中に残って、映像として浜辺に建つ家のカタチとして記憶に残るのかもしれない。「こうして僕らは集まった」


 この対談+雑談の会。その時間だけに終わらないような仕組みができないかと、僕たち「高円寺電子書林」編集部は思っていた。


 北條さんは、「長い時間を相手にする」というテーマを踏まえて、『失われた時を求めて』全巻読破を成し遂げた2人の対談を企画した、大西さんは語るだけでなく、プルーストの手書きのノートと原書をモチーフにしたお土産を作って皆に渡した(この人の愛情深さといったら……)、そして僕は、この夏が終われば消滅してしまう浜辺の舞台を用意した。


 いろいろと考えてはいたが、行えたのはこの程度のことだった。書物をめぐる時間に対して、また何か仕掛けたいと僕たちは思っている。


 そうそう、このメールマガジンの発行人である茶房高円寺書林の原田さんも、もちろん参加した。なんか楽しそうだったね。原田さんが撮影した写真と文章で、当日の様子がわかる記事が、茶房高円寺書林のブログ(☆)で見られる。こちらもよろしく!
 ☆ http://kouenjishorin.jugem.jp/?eid=1937


 そして参加者のみなさん、夏葉社の島田潤一郎さん、ありがとうございました。
 みなさんが、この記事を読んでいる時には、もうあそこには砂浜があるばかりです。