九十九里/昭和30年代的粗雑さ/葉山/裕次郎的忘却

昨日は、一色海岸のアルミ建築の畔柳昭雄教授が同時にデザインした竹フレームの海の家がどう使われているか見てくるために、九十九里浜の本須賀海岸に行ってきた。


九十九里浜あたりの方には申し訳ないが、私はこの地域の海の家が発する雰囲気や実際の人間がどうもだめだ。「日本人の粗雑さ」が強調された空気が、自分を落ち込ませる。
(どういった粗雑さなのかは、会った時に話しましょう)


昨日、朝日新聞の夕刊だったと思ったが、泉麻人が昔のニュースフィルム(それを編集したDVDを出すようだ)の話をしていて、その時に「昭和30年代の日本の粗雑さ」という言葉を出していた。そう、浜辺にはあの時代の日本の空気があった。


私は子供の頃、この日本の粗雑さが嫌いだった。というより恐怖だった。それは第二次世界大戦への恐怖につながる。申し訳ないが街頭の傷痍軍人の存在、親戚の結婚式などで出会う、こいつは実は何人も人を殺してきたのではないかと思わせる暗い日焼けをした男の姿、少年雑誌の怪奇話(多分昭和30年代末から40年代に入る頃、少年雑誌には戦争をモチーフにした怪奇話が多く出てきていた。たとえば少年が川遊びをして、溺れ川底に流されると、そこには防災頭巾を被った男や女たちの行列をしている光景にぶつかるといった話……戦争に関する都市伝説、共同体伝説がマスコミレベルにやっと浮上してきた時代だったんだろう)といったものへと、その粗雑さは直結していく。


粗雑で暗かった日本。だからセブンイレブンなどの店の照明がなんであんなに明るいのかがよくわかり、どこか自分には肯定したいところがある。ネットのBBSなどをいくつか見ていて、その発言が、なんて子供ぽいと思うが、その子供ぽさもあの時代のことを考えると肯定してしまう。自分もいい年をして子供ぽいのだが、それには理由があって、昭和30年代から40年代の日本の大人を見て、あるいは間近に存在していた第二次世界大戦に関わった大人を見て、大人になるのはやめようと思ってしまったからだ(もう年なのに、そんなことを思ってしまっているのはブリキの太鼓なみにグロテスクではあることは自覚しているつもりだ)。


子供ぽい社会の面倒くささ、そのグロテスクな姿をなんとかしたい人、そこの根底にある第二次世界大戦論を見てとってしまった人たちは、核心をつく形で、「新しい歴史教科書をつくる会」などがとっている手法で動いてくる。


どうしようもないBBSの言葉などを見ると、「新しい歴史教科書をつくる会」などを支持している人の心情も理解できてしまうのだが、昨日のように、少年時代の恐怖の対象であった「日本の粗雑さ」にまたが〜んと出会ってしまうと、子供ぽい社会をよりつきつめた方がよいのであり、戦争恐怖の時代をもっともっと生きていくべきなのだと思ってしまうのだ。


では、私が観察している葉山などの海岸には、粗雑さに対して何があるのか?


石原裕次郎的忘却」である。


気鋭のミュージシャン菊池成孔は、彼の本『スペインの宇宙食』のあとがきで石原裕次郎について突如書く。
映画「銀座の恋の物語」についてだ。
主人公は裕次郎扮する画家の卵と浅丘ルリ子扮するデザイナーを夢見るお針子。二人が芸術家の卵の仲間たちに出合いながら、どうも物語りは展開するらしい。


ある日、照明技士の友人のところに行き、ルリ子が舞台に立って照明テストの場面になる。照明が次々とついていく。するとルリ子が倒れてしまうのだ。


場面が変わる、ビルの屋上。
「さっきはどうしたの?」と聞く裕次郎
ルリ子語りだす。
「さっきはごめんなさい。あの光り、空襲を思い出してしまって、…父さんが母さんが、ああ!(また泣き出す)」


すると裕次郎
「馬鹿だなあ。悲しいことは忘れるって約束したろ」と裕次郎にっこり。
それで場面は転換し、以降、明るい青春映画になってしまう!!!


この土地は、その「にっこり」にやられた土地である。
人もやられてボンヤリした顔をしている。


九十九里の浜辺には昭和30年代の日本の粗雑さがあり
葉山の浜辺には裕次郎的忘却がある。


私の仕事は、こうした葉山の浜辺にある海の家の音楽史を残すことであり、小さな小屋の竹の建築の歴史を残すことであり、オアシスパンフのマップに裕次郎灯台の名前は載せず大杉栄の名前をセレクトすることなのだ。


きのうは本須賀海岸から成東駅まで、2時間くらい、炎天下を、歩いてしまった。TAXIを呼ぶよりは、自分の中にある、いろんな日本のことを思い出そうとして、歩こうと思ったのだ。


地方都市の実につまらない道だった。途中、駅までの道を聞くと「歩くんですか〜」といって笑ってしまう女の店員といった、旅に出ると必ず起こってしまうデジャヴ的現象、10代の頃愛してやまなかった斉藤耕一の映像的記憶が、どこにである日本の夏の光景と重なって……ただ、ひたすら歩いてきた。