「声」の書評家----------- 倉本四郎

「新潮」2010年5月号で発表した書評家・倉本四郎についての原稿をUPします。
私は、『ポスト・ブックレヴューの時代 倉本四郎』上・下巻(右文書院)という本を編纂しています。
倉本四郎の書評を集めたものです。その下巻を出した際に書いたものです。




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「声」の書評家---- 倉本四郎


 書物を巡る無数の声が、そのテクストには響き渡っていた。倉本四郎の書評の特徴を一言でいうならこのようになる。2003年、59歳で亡くなってから倉本の仕事は急速に忘れられようとしている。そのため、この書評家のことをまったく知らない読者も多いだろう。書評の魅力を語っていく前に、簡単に倉本のことを紹介したい。


 倉本は約20冊の著作を遺している。その仕事を大きく分けると3つになる。一つは敬愛してきた澁澤龍彦の系譜に連なる絵画などの視覚的な対象を使って幻想的博物学を語る著作。『鬼の宇宙誌』、『フローラの肖像』などがそれにあたる。次が小説。彼は『海の火』という恋愛小説を、晩年には『往生日和』、『招待』など老境をテーマにした作品を書いていた(藤枝静男へのあこがれを倉本はもっていた)。そして三番目が中心的仕事となる書評だ。書評集には『出現する書物』や、私が編纂した『ポスト・ブックレビューの時代 倉本四郎書評集』上・下巻などがあるのだが、実はその書評群のほんの一部だけが著作になっているに過ぎない。というのも倉本は「週刊ポスト」で1976年から97年までの間、毎週書評を書き続けてきたのであり、その膨大なテクストすべてを書物にすることはほとんど不可能なのである。


 ということもあり、ここではそのすべてに目を通してきた私が、倉本四郎が作り上げた特異な書評空間を再現してみせようと思う。

◆テクストが多数の人々に読まれ、語られる。その幸福


 21年間もの長い時間をかけて倉本が「週刊ポスト」で書き続けてきた書評「ポスト・ブックレビュー」。そのテクストの多くは、書物を紹介する地の文とインタビューが交互に置かれる形で構成されていた。
 インタビューに登場するのは、その著者の場合もあるが、テーマに関心のある者、研究者も登場、時には一冊の本について複数の人間が並ぶこともある。


 どんな人物が登場しているのか紹介しよう。

 著者では、立原正秋(『たびびと』)、色川武大(『怪しい来客簿』)、島尾敏雄(『死の棘』)、藤沢周平(『春秋山伏記』)、高田宏(『われ山に帰る』)、松山巌(『闇の中の石』)等々。


 テーマ関連では、『息子と私とオートバイ』(R・M・パーシグ)という60年代米国の文化変革を背景にしたバイク旅行の本では、彼の国の文化事情に精通している枝川公一、架空植物へのユーモア溢れる命名がポイントになる本『平行植物』(レオ・レオーニ)では、ハナモゲラ語で売り出していたタモリなどが登場。
 

 複数パターンは、植草甚一の『いい映画を見に行こう』に対して紀田順一郎久保田二郎種村季弘が順に出てきては、当時(70年代中期)突然起こったJ・J氏ブームの理由をそれぞれの言葉で語っていた。
 

 こうした人物たちが語りだすインタビューが、本を紹介する地の文とモンタージュされるのである。例をお見せしよう。『五味康祐代表作集1』についての書評である。


  五味の『寛永の剣士』に於ける剣豪同士の決闘場面から、それは始まる。
「彼は六左衛門が刀の柄に手を掛け、猫背から窺いつつ進むのを見て叫ぶ。『お手前の鞘の勝ちじゃ』/六左エ門の気が、瞬間にゆるむ。これも人性の『微妙』である。ゆるみは『微妙』に対してタカをくくることだといってもよい。武蔵はそこで踊り込んで首をはねる」


 こうした作品から抜き出された一場面の「描写」の後に、インタビューが挿入される。語るのは文芸評論家の秋山駿。
「――あなたは殆ど熱烈な五味康祐の読み手とききましたが。
秋山 昭和31年の『柳生武芸帳』以来だね。それまでも時代小説のファンだったが、あれは何か特別な経験だった。『週刊新潮』に連載されていたのだが、毎週買った。読み捨てにできずに家に持ち帰って読み返す。仲間が七、八人いたが全員そうでね、それも回し読みせず、面々が買って読むんだよ。
―――随分な執着ですね。
秋山 喫茶店に集まっても話題はそれさ。十兵衛と霞の多三郎はどっちが強いか論じ合うわけよ。あれは『柳馬場』の章で立ち合うことになるわけだけど、相打ちでね、どちらが勝ったのかは分からないわけ。その分からないところが深みとみえてね、吉川英治の本を初め武芸に関する専門書まで読み漁ったよ」


 ひとつのテクストが印刷され多数の人々に読まれ、様々な言葉で語られること。その幸福を語る秋山の声。インタビューの相手として選ばれたのは、文芸評論家であり名うての時代小説の読み手であるという理由によってだろうが、ここで登場する秋山は多くの人が集う場所でたまたま取材された者のようだ。まるでテレビの街頭インタビューの雰囲気だ。


 この雰囲気は「喫茶店に集まっても話題はそれさ」という言葉があることで醸し出されているとともに、もうひとつ「ポスト・ブックレビュー」が書物についてコメントする者を、複数印刷された書物を取り囲む複数の読者の一人として、捉えているところからきている。その認識があるからこそ「読み捨てにできずに家に持ち帰って読み返す。仲間が七、八人いたが全員そうでね」や「十兵衛と霞の多三郎はどっちが強いか論じ合うわけよ」という言葉が、なんともいえぬ幸福感に包まれるのだ。


 倉本の書評の中に登場する者たちは権威をもった者として扱われない。著者以外の者はそれが研究者だったとしても無数の読者の一人として登場し、自分が出会った一冊の書物について楽し気に語りだすのだ。書物をダシに自分の経験を語る者が多い。中には読んでもいないのに調子よく語りだす者さえいる。そんな楽し気な声に比して著者たちの声は少しばかりの陰翳をもつ。書物を前に自由な読みを行う読者に対して、こちらはオリジナルの原稿を一束書き上げなければならなかった必然性を語るのだが、それは苦しく、時に滑稽な声として書かれている。こうして書物を巡る無数の声が響き渡っているのが「ポスト・ブックレビュー」の特徴だ。



◆週刊誌独自の方法論で書かれた書評


「ポスト・ブックレビュー」は「週刊ポスト」の1976年5月7日号から開始され、1997年9月5日号で終了したロングラン連載書評である。
 取り上げた本は約千冊。小説からルポルタージュ、詩集、批評集、学術書、写真集、辞典まで、まさにノンジャンルのあらゆる本を扱っている。ページは全部で3ページ、文字数約3600字から4000字で書かれている。


 この書評は、テクストの書かれ方に特徴があるので触れておきたい。週刊誌の記事は、出版界の中でも際立って独特な方法で作られている。ひとつの記事は事件などの情報を集めてくる取材記者と、最終的な原稿のまとめ役であるアンカー、担当編集者の集団製作で作られている。その方法が初期「ポスト・ブックレビュー」では採用されていた。


 倉本と編集者の話し合いで取り上げる本が決定されると、取材記者がその本に関する情報を集める。さらにテーマに関係する人物を探し出す。著者インタビューは倉本と編集者が行い、テーマに関連する人物への取材の多くは取材記者が行った。そこで集められた取材原稿を基に、倉本が最終原稿を書き上げていたのである。


 こうした週刊誌独自の方法論とともに、週刊誌ならではの機動力も語っておくべきだろう。その書評をいくつか読んでいくとわかるのだが、著者が北海道在住であれば北海道に飛び、京都の店がテーマであれば京都に趣いている。さらに長時間の飲食をともにするインタビューが行われたと想像できる原稿もある。それなりの金銭を使った機動力は大手出版社が出す週刊誌ならではのものだろう。コンピュータが普及していない時代に大量の情報が集まる週刊誌編集部という機能を使っての情報収集、人脈作りが前提にあることなどは、個人が本を読み原稿を書き綴っていく一般的な書評とは異質のものだ。「ポスト・ブックレビュー」最大の魅力である、複数の声が響き合うテクストの特性は、こうした機動力を基盤に作られていたのである。


 しかし、気の合う取材記者が仕事を離れたこと、82年より署名原稿になったことによる倉本の作家性の自覚が強まったことなどの理由で、80年代初頭より製作体制は変わっていく。一人の書評家が本を選び読み、それについての原稿を書くという一般的なスタイルになっていった。
 だが書物を巡るインタビューは初期より少なくなっているとはいえ、やはりそれは重要な要素となっており、多声的なテクストの味わいは変化していない。「ポスト・ブックレビュー」でどんな声がどのように響きあったのか、耳を傾けてみよう。


◆書物のテーマを実際に生きた者が登場するインタビュー


「ポスト・ブックレビュー」のインタビュー部分を読んで関心するのは、「識者」と扱ってしかるべき批評家や研究者たちを、前述しように「読者の一人」としてうまく捉え直しているところである。連載が始まった70年代後半を青年として過ごした者として、文化革命後のその「権威」を小馬鹿にする空気に満ちていたことはよく覚えている。こうした時代の風潮も反映していたのだろう。また当時は、文芸批評でいえば作家論を乗り越えた作品論が、次に作家に死の宣告を告げるテクスト論へパラダイムを変えていこうとしている頃であり、読者という存在が批評の中でうっすらと浮かびあがってきた時代ではあったということも関係しているかもしれない。だが所詮それは文学理論。こちらは週刊誌に載る書評である。100万人のサラリーマン読者に取り囲まれ、週一回で書評を書いていかなければならない作業は、文芸批評の理屈通りにはいかなかったはずだ。


 いわゆる文化人を識者として奉るのではなく、もっと楽し気に書物を読む読者として自由に声を発してもらうために倉本はいくつかの仕掛けを用意した。そのひとつが対象となる書物のテーマに関わる生き方を実際にしてしまった人物として書評の場に呼び込むことである。一例をお見せしよう。


 書物は『昭和20年11月23日のプレイボール』(鈴木明)。戦争によって各地に散らばっていた野球のスター選手を呼び集め、戦後初のプロ野球試合を開催させるために奔走する、ルポルタージュである。テーマは敗戦直後の組織論。呼び込まれた声の主は哲学者の久野収


「――確か阪神ファンでしたね。
久野 うん。これはキッカケが運動にあった。地元の共産党の連中と連絡をとる場所が、甲子園しかなかったせいだ。それまでは、少女歌劇の宝塚劇場でとっていたんだが、やばくなって変えたんだ。当時、普通の試合だと観客が千程度。左翼のどこでと指定すれば、そこで会えた。プロ野球には、特高も目をつけていなかったんだ。それで、ぼんやり試合を見ているうちに、阪神びいきになったんです」


 こうしてプロ野球との出会いを語る久野は、この書物の面白さを「たとえば生花などの家元制、疑似天皇制的なものではない、自主的集団の形成史を、娯楽の面から書いたことにありますね」と語っていくのだが、次にモンタージュされる地の文では、再建を目指す選手たちの前に官僚主義者が立ちふさがっている場面が描かれる。


 かつてのスター・プレイヤーたちが手弁当で集まる東西戦だというのに、「今年、移籍した選手は出場できない」「戦前まで巨人にいた青田昇選手は出場拒否」といった命令が事務局から出されるのだ。これは当時起こっていた読売新聞の労働争議とからむ巨人軍再建の事態が関係していたのだろう。そして青田選手は「戦争に負けた。価値の大転換があった。しかし何故か皆が集まって何かを決めようとすると、古くさい一行が、重要なことを邪魔する」と呟く。その時、敗戦直後の「自主的集団の形成」がいかなるものだったかが見えてくるのである。


 この書評には敗戦直後の組織論というテーマについて語る者はいない。そのテーマを実際に生きた者が登場し自らの経験を踏まえその書物の面白さを語っていくだけだ。その声は書物に収録された声と呼応し、戦後プロ野球の実質を浮かび上がらせるのである。


 テーマを設定し、その出力の仕方をエピソードを配分しながら調整していく作者に対して、こちらは、そのテーマを実際に生きた者が登場し、その経験によって書かれているエピソードをより実感のあるものにしてしまう。書評の読者たちとともにその書物の一番おいしい部分をたいらげてしまおうという具合だ。


 その最も過激な例が『チャリング・クロス街84番地』(ヘレーン・ハンフ)の書評に登場する映画監督「中川信夫の声であろう。この書物は、ニューヨーク在住の女性作家とロンドンのチャリング・クロス街84番地にある古書店店員の間で交された手紙だけで成り立っている小説だ。書物への愛情が男女間の情感へと微妙に揺れていくところなどウエルメイドプレイを観ているような雰囲気で、読書家の間で語られることの多い作品である。そのウエルメイドな物語の紹介のすぐ後に、『東海道四谷怪談』『怪異談 生きてゐる小平次』を監督した中川信夫の声が響き渡る。


「―――あなたは大へんな量の手紙を書かれるそうですね。
中川 ええ。大部分は葉書ですがね。ロケ先なんかで酒を飲みつつ、左手に葉書を持って筆で書く。一日五十通、書いたことがあります。これが最高。
―――宛先はどういう……?。
中川 家族宛です。五人いますから、ひとりずつ書いて、犬や猫にも書いて、あれだって家族だから(笑い)」


 中川は『チャリング・クロス街84番地』をまったく読んでいないはずだ。そんなことにおかまいなく手紙魔の驚くべき日常をその後も語るだけである。しかし人が手紙を通じて交信するというテーマを過激に生きるこの人物は、知り合いの俳優の妻が「何か淋しそうにしている」という理由だけで、「今日から一年間、電話がわりに一日一信送ると約束」してしまったというエピソードを突然語りだしてしまう。するとその経験はたちまち書物に書かれた女性作家と古書店店員の間で交された言葉へと混じり合ってしまい、文通だけが醸し出す情感が書評全体を染めあげる。こうして中川と同じくその本をまったく読んでいない書評の読者たちは、書物の一番おいしい部分を味わいつくしてしまうわけである。


◆書く行為を深刻且つ滑稽に語る著者たち


 では肝心の著者たちの声は、「ポスト・ブックレビュー」ではどのように響いているのだろうか。先にも書いたが、それは苦しく、だからこそ滑稽な声として収録されている。出来上がった著作を前にした作家の落着いた言葉ではなく、そのテクストが生成される有り様を思わせる肉感的な言葉を引き出すために、倉本は執筆時の様子を作家たちに執拗に訊いていた。


『白い山』の書評ではその著者、村田喜代子が邦文タイプで執筆をしていたことを明かし「原稿を書くときは、これから何十万回打つのだな、アリナミンを飲まねばと、まず思う(笑い)。一字一字カチャーンと打つでしょ。腕力がいるんです」と語る。


『海狼伝』の白石一郎は執筆のための儀式を話す。「まず緑茶・ゲンノショウコ・紅茶・抹茶と順に飲む。抹茶を飲んだ時点で、まったなしであると覚悟する(笑い)。そして仕事場に入ると、パンツと肌着一枚になります。(略)この儀式なしには、準備運動不足で落伍するランナーみたいになります」


 あるいは『世界大博物図鑑』の荒俣宏がこの全集を出したことによって金はなくなり「スタッフは過労で倒れ、もう限度を超えたありさまで」と告白するのに対し、倉本は「荒俣は、事務所の床に段ボールを敷いて寝ているという噂もあった」と笑っている。


『死の棘』の島尾敏雄は、夫人のミホと登場。小説を自ら清書したことを明かすミホに倉本が「ここには狂ったミホが描写されてるのに!」と思わずいえば「でも、作品ですから」とミホが答え、傍らの島尾が頷いている。まさに執筆時の作家の生身が感じられるという具合だ。


 このようにして、書物を楽し気に読み語る読者たちと、書物を書く行為や暮らしぶりを深刻且つ滑稽に語る著者たちの様々な声が、「ポスト・ブックレビュー」に収録されていたのである。


◆書物を「描写」し続けること


 先に書いたように、このインタビュー部分と交互に置かれる形で地の文があり、そこで書物を紹介するというのが、その構成だ。紹介の仕方も独特である。倉本はあらすじを書かない。引用もほとんどしない。小説、学術書、写真集を問わず、書物の一場面を「描写」することに終始する。


 小説の場合なら先に引用した五味康祐の作品紹介の「描写」をもう一度読んでいただきたい。網野善彦『異形の王権』なら「河原で僧が処刑されようとしている。合掌する僧のかたわらに放免がふたり。白地に派手な模様を摺った摺衣を着て立つ。左手、刑の執行に立ち合う検非違使庁の役人にまじり、さらにふたり。こちらも黒地ながらも派手な摺衣をまとう」と書く。あるいは篠山紀信の『SantaFe』の宮沢りえのヌードは「光っている。顔も、首も、すんなり伸びた鎖骨も形のよい乳房も。劣らずくっきりと輪郭を保って張った腰から、なだらかにカーウ゛を描きながら指先へと至る脚。下腹を隠す腕と手。それら全体が、発光しつつ、そこに、ある」と「描写」する。


 つまり、その書物にとって重要な光景を、小説なら物語のクライマックス、学術書はテーマが一番見えやすい構図、写真集の核心の一枚を、倉本は自分の筆でなぞるようにして書いているのである。それが私がいう「描写」だ。なぜ倉本は「描写」という方法にこだわったのか。その意図を倉本はあっさりと初めての書評集『出現する書物』のまえがきで明かしている。


「声帯(形態)模写がひとつの批評行為であるならば、『なぞり』も書評となろうではないか」


 声帯模写の芸人がモノマネをすることで、「ある人物」の「癖」を引き出すこと。その「癖」を見て、取り囲む観客たちが笑うこと、その「癖」をきっかけに観客たちが「ある人物」をもっと深く知るようになること。その全体が批評であるというのが前提の認識だ。


 そして倉本は、「ある人物」を一冊の書物に置き換えて、21年もの間、書物を「描写」し続けた。書物の「癖」を引き出すために、それによって書物をもっと深く愛してもらうために。そのことが書評であると信じて。


 これは倉本が書評を書く前にいくつかの週刊誌で人物ルポの仕事をしていたことと深く関わる。取材対象の人物の「癖」をモノマネした時、その人物の生き方を明かす鍵を拾うことがあることをその生業で会得していたからだ。倉本は、週刊誌体制で書評を書き始め、人物ルポの方法論を書物へと向けていたのである。


「ポスト・ブックレビュー」は、書物のモノマネと笑い声も混じる無数の声が交互に置かれる形で構成されている。その書評は全体として、楽し気な言葉の劇場になっていた。


  こうして再現してみせた倉本四郎の書評空間が今、忘れられようとしている。そのことによって失われていくものは何かといえば、「ポスト・ブックレビュー」が軽やかに示したこと、書評とは自由で大胆なテクスト空間を構成できるものなのだという認識だ。現在書評の多くは、新聞や雑誌での定型があまりに継続的に続いているため、ある面、書評家の技芸を楽しむようなジャンルになっている。そのため、この批評空間が自在な可能性をもっていることを忘却している。


 書物というモチーフは骨太で巨大なものなのだ。書物を前にして私たちはもっと自由で大胆な行為ができるはず。そう、「ポスト・ブックレビュー」が採取した時代の声とは違う、今ならではの書物を巡る声が響き合う書評空間を作り上げることも可能なのだ。では、それはいったいどんな声なのだろう?
(「新潮」2010年5月号)