新幹線の中で『クラブカルチャー!』を読む

仕事で神戸、青森、仙台という都市を巡りつつ、東京に戻っては韓国のリズムバンド「PURI」の
公演パンフレットの校正などを行なっている。


新幹線の中では湯山玲子が書いた『クラブカルチャー!』(毎日新聞社)を読んでいた。
さまざまな読み方ができる本だ。ある雑誌で、酒井順子が書評をしていたのは
ナンパ視線が交錯するディスコワールドを通り抜けた女性が、脳快楽を追求するあまりナンパなき世界になってしまったクラブへと到達してしまうことが、ここには確かに書かれているからだろう。


クラブという場から映画監督がみつめられもする。
ウォン・カーウェイ、ディヴィッド・リンチ、アンドレイ・タルコフスキーなどが語られるのだが、20世紀型音楽が扱っていた「メロディーとコード」の世界から「音圧と音質」を中心テーマにした21世紀音楽へと向かっているのがクラブだとするなら、確かにこうした監督が選ばれていくのですね。(これはまあ、ポピュラーな線で、もっとあるんだろうけど、きっと)


話はずれる。
私は毎日新聞の日曜版の書評欄がけっこう好きです。ただし気になることがあります。この書評欄の中心となっている丸谷才一鹿島茂といった人たちは、書評を技芸と文学的知識によって成立しているといっていて、おたがい褒めあったりすることがあるが、時々つらくなる。技芸と文学的知識は、もう既に音楽の世界では移行が始まっている「メロディーとコード」の世界に見えるからだ。毎日新聞日曜版書評ってよくできたポップスのようで、昔のラジオのベスト10番組を聞いているような錯覚に陥ることが確かにある。少年時代の日曜日には、そんな豊かなラジオ体験をしていたからか。
突然ですが、このblogで時々触れる、倉本四郎の書評は「音圧と音質」のテクストとも読めるものです。確かにバカみたいに薄っぺらな文章ではあるのですが、そこには他人の作り上げた書物の何かを取り出し「文圧と文質」を問題にする視点でブイブイいわせる表現の地平があります。(「ブイブイいわせる」なんて、ほんとにだめな文章ですが、がまんしてくださいね)


東京に戻ると「PURI」の公演パンフレット。友人Iさんがレイブを通してみた韓国の「踊る世界」を語っていくテクストがある。これは私が聞き書きしたものだけど、これからの自分の方向性に大きな意味をもつテクストになるような気がする。響きの世界に対するアジアのリズム、そこにも出現してしまう音響という事態。

PURI公演
11/2(水) ティアラこうとう小ホール
11/7(月) 可児市文化創造センター小劇場
11/10(木) 草月ホール