フィルムは記録する−−西表島での創価学会

京橋のフィルムセンターのドキュメンタリー映画特集「フィルムは記録する2005」小川プロ以外に2本だけ作品を見ることができた。


今回の目玉ともいうべき「民俗学映画」である。1本は『海南小記序説・アカマタの歌 西表島古見』(北村皆雄監督 1973)。70年代初頭の西表島古見(こみ)という小さな村の生活をドキュメントしたもの。


興味深いのは創価学会の入信活動が、この辺鄙な村にも行われており、アカマタという土地の神への信仰と学会の信仰が対立したり共存しているところが記録されているところだ。日蓮系仏教の力強さ侵略性はやはりすごいなと感心した。


ある夫婦が出てくる。夫はたしか九州からきた男で、妻はこの土地の女性である。彼女の踊り、仕草には霊的な雰囲気があり、土地の神と密接に結びついた人なのだということがわかる。どうも彼女は祭りが近づくと家事を放り投げてその行事に没頭するようだ。夫はそれが気に食わない。多分、夫は土地との結び付きのレベルである疎外感を感じていたのだろう、そのことが実に気に食わなかったようだ。夫は学会に入信し、夫が学会なら妻も学会だといい、妻も入信させる。


このテーマ、絞り込むとかなり面白いことになるのだが、しかし映像作家はそれほど追わない。追わないんだな。しんどいテーマでは確かにある。そのしんどさに耐えられず、どこかしっかりテーマを掴むことができず流れていく映像作品だった。


アカマタの祭りを撮影隊は村人たちによって、「撮影したら殺す」といわれて撮影することをしない。私はこの作品、70年代初頭の映画らしく、そのことによって「記録とは何か」の問いかけへぐいぐい行き、当時の学生実験映画などにあった、スタッフたちが討論を重ね、それを撮影していくという、見ていていやだが、しかしドキドキするという、そういった作品になるのかと思っていたのだが、それもしない。そのテーマについても流してしまう。


創価学会と仏教宗諸派との闘いもいろいろあっただろうし、今もあるが、土地の神との闘いも相当あったのだろう。土地の神との闘い、弾圧、混交というと植民地でのキリスト教のことを思い浮かべるけれど、創価学会も、こうした辺境の地では激しいものがあっただろう。霊的な戦いと、夫婦関係、議会の権力闘争が入り交じる実に日本的な闘い、いがみ合いが行われたのだろう。こういった日常的霊的闘いが展開する殿山泰司小沢昭一が出演する日本映画を見たかったし、今も見たいと思うが、学会がこれだけ大きくなってしまっているので、それはもうタブーだ。私たちはそんな日本らしい日本映画をこれからずっと見ることができないのだろうか。


1973年。西表島でこの若い監督はその物語を記録すべきだったと思う。


2本目は、『私の人生 ジプシー・マヌーシュ』。フランスのロアール地方を家馬車ととともに旅するロマたちの暮しを撮影した映画である。現在、国立民俗学博物館教授の大森康宏監督の77年の作品。ロマたちのかなりいい加減で素敵な料理の仕方、目的地を考えず出発してしまう移動のだらしなくも素敵なあり方など興味深いところはいくつかあるのだが、この作品も、腰をすえてみつめてやろうというところがなく、さらさらと映像が流れていくのだった。


私はクロード・ルルーシュの映画がすごく好きなので、さらさらと映像が流れていく映画が実は好きです。この2本を見て思ったのが、この程度の流れてしまう記録なら、音楽でも流してミュージックビデオにしてくれた方がいい。前者なら学会の芸能人の歌、後者ならジプシーキングスの曲でも流しながら見ればとても楽しい映画だったろう。