オアシス音楽史(その1)

ニュースタイル海の家の原点となっている店が森戸海岸のオアシス。
このスペースはさまざまな意味をもって、そこを訪れる者に影響を与える。

その意味のひとつひとつを考えるために、私はオアシスの音楽史というものを見ていこうと考えている。

私は、2000年にオアシスの代表Aさんに行ったインタビューで大雑把だがその歴史を教えてもらっている。

●1981年、オアシスは海辺の自然食レストランとして店を開く。その時、流していた音楽はジミー・クリフやボブ・マーレィなどのレゲエ。建築空間は、現在のような竹を使ったものではない。しかし、自分たちで作った竹製の椅子が置かれている。それはバリ島旅行にいったMさんが覚えてきた竹の椅子作りを中心に行われたものだ。集まっている人々は、芸大を中心にした人々の流れ、逗子の自然食品店を中心にしたネットワーク、70年代にカウンターカルチャー系の雑誌でそれなりに活躍していたライターM.Kさんも入っているところを見ると、ヒッピー系と都市文化人系が混じっているラインも入っていたと推測される(要確認)。
こうした人々が先のようなレゲエ音楽を聞くと同時にギターなどを弾いてセッションをしていた。Aさんの言葉でいえば、「音楽をやらない人間がイメージを先行させて音楽をやるというか、そういうやり方」をしていたのである。

■ここでのポイントは、「音楽をやらない人間がイメージを先行させて音楽をやる」ということだ。
今現在、多くの人がそれなりの楽器や機材を使って音楽を作り演奏することができる。そこで作られているほとんどの音楽は、「音楽それ自体」になっているように思える。それが良質なものか時代に対して深い意味をもっているかを問わずに享受するなら、今の日本のある年齢層の人々はすぐに「音楽それ自体」を作ることができる。

オアシス音楽史の初期には「イメージを先行させた音楽」があった。
80年代初頭の若者文化を知っている人なら、確かにそこに「イメージを先行させた音楽」があったことがわかるだろう。

そのことを示すために、次の事象を使って説明していくのがよいだろう。
1.「ロッキング・オン」などのイメージを先行させた批評の体系、あるいは音楽批評やレコードの解説文がもつイメージの体系
2.70年代後半に発生してきたニューウエィブ、パンクにある「音楽それ自体」になってしまったロックに対する内在的な批判

ただし、以上の事象を決してアカデミックな言葉で語ってはならない。一応、ここでは製作ノートのようなものだから、こうなっているが、決して、そんな形になってはならない。

建築家の建築雑誌で書く言葉にしてはいけない。建築家が描いた設計図のようにノートして、建築家が建てた建築物のように書かなければいけない。