BEACH CLEAN/淘げ屋

毎週土曜日午前中に行う久留和海岸のビーチクリーンを、今日は天候が悪いのでしなかった。お昼に、いつも一緒にビーチクリーンをしているMさんから電話。彼女も今日はしなかったようだ。

ビーチクリーン。浜辺が寒くなってくると、夏のように、そのまま、商品が商品として置かれているような感じは少なくなっていく。川や海に入り砕けた感じのモノが増えているというのが先週の印象だった。


知り合いの編集者の方が作った本、小関智弘著『町工場短編小説集−鉄の花』(小学館)を先日読んでいたら「淘げ屋」という言葉が出てきた。「よなげや」と読む。


工場街の川につかって、川底の泥を大きな笊ですくい、蝶番や犬釘や自転車のベルなど金目になる金属類のものを拾う商売。この国がこの国の土地でガンガン、モノを作っていた頃の片隅の商売。

すでにない街の商売をみつけると、とんでもなく素晴らしい中古レコードをみつけたような気分になる。

浜辺でモノを拾っている自分と、淘げ屋さんを結びつけること。その唄でも歌って浜辺にいたい。

今は環境保護といったことをぜんぜん意識したくない。スチーム・パンクのように、何か激しいものの反転として、もくもくとゴミを拾っていたい。