海から吹く風の中の女について

 しばらく、beach hut on the blogのテクストを書いていなかった。年が明けてやっと書くことができる。
 今、2004年1月13日午後3時。海からものすごく強い風が吹いている。部屋の古びた木わくの窓のガラスが強い風圧で彎曲し、幽かな屈折をしている視界、その向こうに見える海では白い波が、明るい光の下、まるで敵みたいに次から次へと沖から押し寄せている。
 

 いつもは静かに立っている庭のフェニックスが、ものすごく乱れた姿で風の中に立ちつくしている。
 
 
 それを見て私は岸恵子が出演していたテレビ番組を思い出している。数年前のことだったと思うが、教育テレビで画家のダリについての番組があり彼女がレポーター役で出演していたのだ。そこで私は不思議な映像に遭遇する。

 
 岸恵子がレポーターとして、ダリが住んでいたスペインのある浜辺に行く。彼女はカメラの前で、あの独特な声でその地域について説明し、浜辺を見渡すことができる岬に立つのだが、その場所にはものすごい強風が吹いているのだ。その風は尋常ではなく岸恵子はもう話すことができないし立つこともできない。風圧におされてよろめき、服をおさえ髪の乱れをおさえひれふすような動きをし、四つん這いになるような形にまでなってしまう。カメラはたんたんとそれを写しとっている。音はない。無音の中、黒っぽい服を着た岸恵子がものすごい強い力でただ翻弄されるのだ。

 
 その映像はまるでポルノグラフィーのようだった。それは、レポートの映像としてはまるで使い物にならなかったはずだから、流す必要もなかったと今になって思うのだが、テレビの演出家もその映像の魅力に気づいたのだろうか、それは番組の中で使用されてしまった。

 
 私がこれまでテレビを見てきた中で、もっともエロチックな映像がこの強い風の力に翻弄され蹂躙されてしまう岸恵子の姿だった。

 
 今、蹂躙という言葉を使ったが、そこにはサディズムマゾヒズムの力動もまったく関与していなかったと思う。強風に翻弄される肉体から醸しだされるエロティシズムは、その流れのものではなく、それは私にとって今まで体験していない質感の感覚だった。

 
 レニ・リーフェンシュタールのナチ賛美映画の前に作り出演していた山岳映画の一部を見たことがある。自然を征服していく女性の肉体の美しさが表現されていた。ナチス台頭以前のドイツを中心とするあのあたりのヨーロッパ文化には、非常に危険な魅力をもったエコロジー美学があった。そうした中に、大自然に蹂躙されていく肉体から醸し出されていくエロティシズムを表現している絵画やフィルムあるいはレビューなどがあるかもしれない。

 
 いや、そんな資料などあたらずに、私はこの浜辺で私たちが忘れていた快楽のあり方を想像した方がいいかもしれない。流行の犬を散歩させ、カヌー遊びに興じ、そして海の家が建つこの浜辺にも、時には圧倒的な自然の力が襲いかかることがあるのだから。

 
 家から出て海からの強い風に吹かれてみた。髪も表情も感情もばらばらになるくらいの強い風だ。一緒にいる人も外に出てきて風の中に入ってきた。この女の人は美しいダンスの仕草をし、そして熱狂的にふざけたりする人だから変なことをする。林家三平の「踊って、踊って!」などとやって、やたら古いギャグが出る。部屋にもどって、その人は昨日の夜、ラジオで聞いたという三平のおかみさんの話を聞かせてくれた。それは東京空襲の話だった。