浜辺とあの女たちの語り口
12月の頭から今まで、ここでテクストをあまり書けない間に、自分の母親を含めいろいろな年齢、いろいろな階層の女たちに会ってきた。いろいろと考えさせられることはあって、そのことはまた何かの機会に書いていくだろう。
今ここで書くのは少し前にあった女たちのこととなる。
鎌倉に住んでいた江藤淳が自殺してからあまりたっていない頃のことだ。鎌倉の和菓子屋で買物をしていると店員の中年女性が江藤淳がどのように死んでいたのかを話していた。それはなんだか生々しい話で、その時思ったことは、ああ、鎌倉にはこの土地に住む文化人の舞台裏を知っている人たち、たぶんお手伝いさんや店員をしている中年女性たちのネットワークがあるのだなということだった。
鎌倉を歩いていると見るからに怪しい男や女がいて、それは芸術家だったり工芸家だったりする。鎌倉というブランドをつくりあげている人たちだ。そういう人たちと出会うたびに、あの女たちのまなざしを思っている。
葉山の海岸に建つ海の家について書いていたりすると、どうしても葉山というブランドに関わってくる。そのブランドによってずいぶん怪しくなっている人も見てきたし、文化というものがどうしてもそのようなことと関わらざるをえないことも知っている。またその舞台裏をみつめてきた人とも知り合いになっている。
家を出て坂道を下りていけば浜辺に出る。
この浜辺はすでに語られてしまっていると思いつつ、まったく新しい形で語ることができそうだという気持ちもある。また、そろそろ石原慎太郎の小説を読み出そうとも思っている。