ビーチの読書について

『ビーチの社会学』の第8章で、他に気になっていたことをメモします。
私はビーチでの読書をずっとしたいと思っていて、実はしっかりしたことがない。外国人、とくに白人たちはビーチでの読書をしっかりするのだが、日本人はどうもうまくしていないのではとずっと思っていた。

ここである37歳の男性の言葉をみつけた。
「ビーチに来るといつも、まず最初に本を開いて読み始めるんだ。そうすれば、どういうわけか、自分にはビーチの中のその特定の場所にいる権利があるんだって感じられるんだよ。そうすることで、そこが自分自身の世界なるんだね、多分」

そうなのか。読書という行為は、「自分にはその特定の場所にいる権利があることを感じ、示す」ことだったのか。

家の近くのビーチでは、いつも夏になるとドイツ人の婦人が決まった時間、読書をしていて、それを見るたびに、そこだけ、そのテリトリーだけヨーロッパを感じていたのだが、それは読書行為とテリトリーの権利を結びつかせるのに、ぴったりの雰囲気をもっていたぞ。

ただ一人の男性の発言なのだが、ヨーロッパやアメリカの人間の読書行為の本質を射し貫く言葉だ。


今年の夏までに私は、そのスタイルとは違ったビーチでの読書の仕方を生みだしてやろう。そいつを海の家に遊びに今年も来るだろう『本とコンピュータ』関連の人に見せてやるぜ。と今思ったのだが、ただ笑われるだけかもしれない。

この本、少しまた面白くなってきた。大月隆寛は大丈夫かもしれない。


それと、久留和海岸の人工リーフ設置計画に対する漫画『美味しんぼ』とフライヤーへの反応がいくつか来ている。メールを読ませてもらったが、この海岸への思いにあふれた内容のものだった。メール、「スカ海」に送ってくれた人、ありがとうございます。