中継車というあり方

テレビではなく、直に駅伝を見て思うことは、中継車がカッコイイということだ。テレビでみていると、先導するオートバイとか中継車が邪魔くさいと思うのだが、実際に見ていると中継車という存在がイイ! 映像機材がぎっしり入っている車に鉄パイプなどで組んだカメラの撮影台。その簡易的なところがとてもよい。スポーツの番組はとても多いのだが、マラソン用中継車をしっかりと作りそれを維持していくほどの、金は流れないのだろう、だから、その日のために車に撮影台を設置するのだろうな。その仮設建築と車の合体が大好きな世界なのであった。そのようなある意味でボロボロ車に囲まれて、疲弊したランナーが走る姿は、ある種の近未来モノのよう。


帰りは小田原にまた出て、そば屋へ。板ワサなどで日本酒。私の日本映画ベスト3に入る『競輪上人行状記』の小沢昭一の演技についての話をしたりする。ラストの場面の演技はよかった……。このまま競輪をしにいくかという話にまでなっていったが、正月からそれはなんだか恐ろしく、建築家との温泉&駅伝の旅は終えることにした。温泉で読んでいた本は、もう何度目かになるミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』。