「b*p」の労働を見てみたい

「b*p」(小学館)という雑誌がある。あのおじさんアウトドア雑誌の「BE-PAL」の別冊で夏になると出る若者向けの旅の雑誌。内容が面白いというよりは、本誌から別冊への変換の仕方が興味深い。作り上げてきた雑誌という構造体をばらばらと崩していくなかで新たな雑誌の構造体がとりあえず残された形。その作業の核になっているのが、ライターたちのことさらの「自分語り」文章。その文章の要所要所に醸し出される不幸な感じはとても現代的だ。

この編集部の人たちの労働の様子を見てみたい。こんなふうに思ったのは久しぶりだ。葉山のニュースタイル海の家を見たとき、それを作っている人たちの労働のありさまをとても知りたかった。それで見にいってみて、その描写を2001年の夏の『relax』で発表してみたりした。
それ以来の気持ちだ。
内容というよりは、この雑誌構造の変化に対応する労働は、何かを示している。
それぞれの専門分野で「ku:nel」的な物語のある生活雑誌に似たムックなどが出ることは、このところよくある。しかし、多くは手慣れた編集者があらたなトレンドをキャッチして作った技巧の作品で、あまり興味がない。この「b*p」にはそういったレベル、個人の才能や個人の技術とは違ったレベルのところがある。稚拙さ含めて集団的な労働のスタイルで作られたところが感じられる。

今のあまり優秀でない若者たちというのは、ある人たちにとっては、しっかりとした階級を構成しているのだと思うのだけれど(残念ながら私にはしっかりとは見えないけれどね)、その階級の頭の使い方、読み書き、体の動かし方を正直にある労働で使ってみると、こうしたものができましたという雑誌だ。だから読んでものすごく感動した。

「b*p」関連のblogを調べてみたりしたら、編集者が本屋で発刊したばかりの自分の雑誌の位置を見えやすいところに置き直し(経験あり)、それがあとで発覚し書店員に怒られて落ち込んでいるという書き込みがあった。発売直後の書き込みである。この労働のあり方にも興味あり。

さらっと見てしまうと、みじめさを共有して感動する今のロックバンドのライブにありがちな光景なのだが、「BE-PAL」→「b*p」の構造変化を通してみると、そこには異質な労働がたちあがっているような。

そうそう、もう浜辺では海の家の建設が始まっている。様子を見にいってみよう。