ラジオの打ち合わせの中に

今日は朝からTokyoFMの番組に出演してきました。といっても、約5分間電話で話をするというもの。もちろん話題は海の家について。私の仕事部屋は相模湾が見渡せるのですが、その海を見ながら、生放送で海辺というスペースの意味について話す素敵な経験でした。


しかし、このラジオ経験、面白かったな。出演というより、打ち合わせが面白かった!
先週、私は仕事で北海道の札幌にいた。
帰りの飛行機の出発時間までの空いた時間、札幌・すすき野の近所の商店主たちが集まるような喫茶店らしい喫茶店で新聞を読んでいたら携帯が鳴って、それがラジオの出演依頼だった。


この時の電話の内容はこうだった。
簡単な挨拶の後に、スタッフの男性が私に海の家について質問をする。
それを私が答える。問答が何度か繰り返される。
まず、それが審査なのだろう。これだったら大丈夫だろうなと彼が思ったのか、もう少し深い内容の質問を投げてくる。
私が答える。
その答えを聞いてから、彼が「来週、番組に出てもらえないか?」と正式な依頼をする。
「どんな話をすればいいんですか?」と私がいう。
すると彼は「今、話したようなことを」といって、さっき私が答えた話を簡単にまとめて話す。
それを私は聞く。
質問と答えがある構造をもっていたことに、その時、気づく。
頭の中に入りやすいようにパッケージされたものが私の頭に戻る。
それから出演する日の日程を話あう。
それで終わり。


今日、パーソナリティーの女性と話をしていて気づいたのだが
あの電話では、出演審査、出演依頼、内容打ち合わせ、そしてリハーサルが同時に行なわれていたのだ。とても短い時間に。多分10分間くらい。


電話の彼のことをよく知らない。残っている印象は、プロの役者が出ない映画を作る優秀な演出家。自分は何も知らない素人で、自分の体験を話す。演出家はふむふむと聞く。それから彼がその体験を映画的なセリフにして語りだす。そして「こんな風に語れるかい?」と聞く。私が繰り返すと、「素晴らしい!」といい、「さあ、あのカメラの前で、もう一度しゃべってくれ」という。私はカメラの方に歩き出す。そんな感じだ。


あるいは革命。
私は労働者で、初めて会った委員会の男に、自分の仕事場について話をする。不満もあるし楽しいこともある。話はいろんなところに飛ぶ。だがすべては真実だ。彼はふむふむと聞いている。それから、私の話をくりかえす。よく聞いてくれている。驚いたのは、さっきまで話していた隣の男の話と、私の話に共通する部分があることを示すように語ったことだ。私は隣の男を見ながら、また語りだす。隣の男はうれしそうな顔をする。「素晴らしい!」といい、「さあ、あの広場にいって、みんなの前で、もう一度語ってくれ」と委員会の男はいう。私はその集まりに向かって歩き出す。


ラジオの世界には、20世紀的な知の技術が残っているな。
いや、そんなには残っていないだろう。つまらないラジオはいっぱいあるし。幸運なことに、一番いい奴に会えたのかもしれない。ロバート・ハリスの番組を作っている製作会社みたいだし。


この電話のことはよく覚えていよう。革命はこんなふうにふいに現れるんだ。
札幌の喫茶店で電話を終え、私はなんだかうれしくなったことを覚えている。