「オアシス音楽史-1-」のメモ


昨日は葉山図書館の近くにあるアートカフェで「オアシス音楽史」の録音をした。
メンバーはオアシスの音響を長年しているサックスプレイヤーの藤川さんと、代表の朝山さん、それにラジオのミキサーの平尾さん。

藤川さんに、秘蔵の音源をもってきてもらって、曲を聞きながら話を聞いていった。

今現在、ジャパニーズレゲエの中核は、ダンスホールスタイルになっている。それを担っているのがHOMEGROWNというバンドで、彼等はオアシスのネットワークでできたバンドである。

今日は、そのHOMEGROWN結成前夜(90年代中期)までの時代をまとめて(話を音楽を)聞いたことになる。

聞いて感じた私の印象。
90年代初頭にこのスペースで演奏される音楽は、ある地平まで昇りつめていた。

1980年代、絵描きなど非ミュージシャンたちが演奏する音楽がこのスペースで展開されていた。
ジャマイカやアフリカに旅した者たちが持ち帰ってきた小型パーカッション。あるいはピアニカという小型楽器。そうしたものを使って浜辺で遊ぶように展開するセッションがこの海の家で行われていた。

そこでの遊びの様子がわかるような音楽を聞いた。聞いておもしろい音楽ではない。一緒に遊んで楽しい音楽。

ここで注意したいのは、レゲエのあるベースラインのパターンを使って、その上にさまざまな音を入れて楽曲を構成していくスタイル。
ヒッピー文化がイメージとして獲得したレゲエとは違ったレゲエがここにある。みなが一緒になって遊ぶ方法としてのレゲエだ。

ここには80年代オルタナティヴの質感がある。(その考察をすること。ワークショップという方法論、初期のコンピュータ文化で語られてきたこと)

こうした遊び、セッションは、第三世界から直接持ち込まれてきた楽器や、アフリカやアジアから実際に日本にきた人に出会うこと(1990年前後のネパールからの労働者コミュニティとオアシスとの出会い)で、90年前後には、魅力的な質感を獲得してきたのではないか。

バブルの時期にイベントやクラブの催し物に、そのセッションは、「売り物」として出ていっている。興味深いのは、出演するメンバーは流動的であり、バンドではなく、ある「スペース」の感覚を彼等は表現しようとしていること。

そこでポイントとなるのが「ひょうたんスピーカー」。
しかし、このスピーカーのアヴァンギャルド性は、80年代、90年代文化論を越えているので注意。

バブルの時期は、都市のスペースが強力な商品となった時代だったが、音楽も徹底的に商品にされていた。そこで疲弊していたプロのミュージシャンたちが出てくる。(そこに牧伸二のレゲエバンド、ユースケサンタマリアのバンド名がちらつくことに注意)

こうしたミュージシャンが海の家で、ある種充実したセッションに出会ってしまう。そして遊び、セッションに参加して、できた楽曲が録音されていく。それを私は昨日聞いて、「ある地平まで昇りつめていた音楽」だと感じたのだ。

その音楽は、その後、ストリート系の音や身振り、言葉が色濃く反映しているダンスホールスタイルに解体されていく。

これが昨日の「オアシス音楽史-1-」のメモ。