倉本四郎追悼原稿

昨日、webマガジン「青い瓶の話」編集部に、倉本四郎追悼原稿を送った。


「青い瓶」は写真家/デザイナーである北澤浩一氏が主宰している「電子メディアで読める文藝」を目指している雑誌。最近、近藤 等則のアルバムジャケットをデザインした北澤氏のシャープな文章、日刊デジクリでよく知られている十河進氏の哀愁ある映画エッセイなどが掲載されている雑誌で、私は時々、超短編ともいうべき作品を載せてもらっている。

http://www.kitazawa-office.com/aobin/ao_top.html


倉本さんは、週刊ポストで約20年間、独特な文章による大型書評を続けてきた。著書に『妖怪の肖像―稲生武太夫冒険絵巻 』(平凡社 )、『恋する画廊 』(講談社 )、『往生日和 』( 講談社 )、『恋情は思い余って器官にむかう 』(筑摩書房 )などがある。


倉本さんとはここ数年、お酒の席に時々誘ってもらうようなつきあいをさせていただいていた。昨年の夏、海の家ブルームーンで青瓶編集部のメンバーと会った時、たまたま店に倉本さんがおられたのだ。そんな縁もあって、追悼原稿を載せてもらうことにしたのである。しかし、亡くなられたのが8月23日、随分時間が流れてしまった。編集部の方にも倉本さんにも申し訳ない。


私がその原稿で書いたことは、倉本さんの書評「ポスト・ブックレビュー」の言葉に、「フリーライターという職業の者」がもつ独特な言葉の質感を探しだすことによって、その書評が行った意味を考えるということである。


フリーライターの言葉の質感を表すのに、私は映画「 マルコヴィッチの穴」で得たインスピレーションを使った。映画俳優ジョン・マルコヴィッチの体内に入り彼の行動を操作できる マルコヴィッチの穴のように、フリーライターたちは言葉の穴を通って有名人や芸能人の中に入って、言葉を操っていく。


倉本さんは70年代、川上宗薫などその当時のマスコミの寵児たちが行う対談原稿をまとめるアンカーの名手として有名な人だった。(話し言葉から書き言葉に変換される時に現れる言葉のメチャクチャ振り、それらひとつひとつをライターや編集者はマルコヴィッチの穴と見るのだ)その穴潜りの技術を書物に向けて作ったのが「ポスト・ブックレビュー」なのではないか。


そこから始める文章だ。編集されて発行されるのに、もう少し時間がかかるだろう。雑誌が発行されたら、お知らせします。