80年代都市戦争

 
 仲俣さんid:solar:20031104がダイアリーの中で「1980年代は、ぼくらにとってひとつの戦時下だった」という文章を書いている。
 確かにあの時代を「戦時下」だったと規定すると、何気なく置かれていた本や写真が非常に意味をもって見えてくる。生きるための参照体系となって現れてきたりする。
  
 私は1980年代の最中にすでにそう思っており(まあ、うまくいってなかったってことですよね、ああ、シンドカッタ)、ある写真群を参照しつつ生きてきた。その写真を中心にした小さな本を書き上げたことがある。1993年、『汽車住宅物語 -乗り物に住むこと-』(INAX出版)という本を出したときに、「80年代都市戦争」という言葉を使って、私はその本に寄せてこんな「あとがき」を書いている。

 私が壕舎(第二次世界大戦中、塹壕を住居にしたもの)や転用住宅(戦後、列車などを住宅化したもの)の写真に心魅かれるようになったのは1980年代中期のことであった。
 
その頃は中曽根康弘を中心にした政府が指導した「民間活力の活用」という力学によって、東京を代表とする多くの都市が徹底的に破壊されはじめた時代だった。
 
このような時代の中で、たとえば壕舎の写真は圧倒的な共感をもって見ることができたのだ。
 
写真を見ながら私はこう思った。
 
 これはまったく同じだ。壕舎の存在があの時代の人々に「戦争の悲惨さ」のイメージと「人はどこにでも住める」という住宅概念の変革を強いたように、地上げの後に建ったワンルームマンションは「80年代都市戦争の悲惨さ」とやはり「人はどこにでも住める」という意識を強要していると。

 (中略)
 80年代後期の主人公たちともいうべき、住宅を投機の対象としか考えられない人に会うたびに、あるいは人間の尊厳を傷つけるために造ったとしか思えぬ間取りのマンションを見るたびに、転用住宅の写真は、「人はどこにでも住める」というメッセージをより明確に感じさせるようになっていったのである。
 この絶望的であるとともに、実に楽観的なメッセージがあるからこそ、戦後転用住宅の写真は、今の私たちの心を根底的に揺さぶり刺激するのだ。

 そして今、90年代、この時代の都市を歩きながら、空き室が目立つマンションや「テナント募集中」のオフィスビルなどを見てみると、それが私には機能を停止した巨大な乗り物のように見えるのだ。

 考えてみれば、私たちがあの80年代に見たものとは、土地や建物が徹底的に商品として流通させられる現場であった。そこでは建築は資本主義の軌道をものすごいスピードで流通する商品のひとつに過ぎなかったし、マンションやオフィスビルはそのトップを走りまくる高性能の乗り物だったのだ。

 だが突然、「不況」という言葉のもとに資本主義の軌道を走っていた乗り物たちがストップした。あの焼け野原の汽車やバスや自動車のように、その乗り物たちは「空室あり」や「テナント募集中」のカンバンを掲げて、都市に放置されたわけだ。

 では、人々は?

 今あるマンションやオフィスビルが都市に放置された乗り物なら、人々はこの80年代に徹底的に住宅の概念を破壊された者たちであろう。

 このような今だからこそ思い出していただきたい。汽車住宅やバス住宅の写真を。そして交通機関として機能を失った乗り物と住宅の概念を徹底的に破壊された人々が出会った時、「転用」という力学が生まれたということを。

 私はこの記憶を呼び起こすために本をまとめようとしたのだ。

 ……だが、ポスト80年代都市戦争の今、私たちが実際に行うべき「転用」とは何か?

 そして90年代の末、私は浜辺で、転用したスペースを発見した。