ベン・ニコルソン展を海辺の美術館で見てきた 


 今日、ベン・ニコルソン展を神奈川県立近代美術館・葉山で見てきた。ちょっとこのところたてこんでいるので、とにかく感想を書いてしまおう。考えがばらばらになってしまうかもしれないが、とにかく今日書いておきます。

 
 非常にシャープに編集された画集のような展覧会であった。もう少し絵描きは、作品の流れにブレがあるはずだから、これはかなり洗練されたセレクトがなされた結果なのだと思う。これを編集者の技を楽しむ書物愛好家のように美術館スタッフの優れた手さばきとして楽しめるか、楽しめないかは分かれるところだろう。


 私はちょっとまよったが、え〜い楽しんでしまえと考えてしまった。まあ、いろいろと考えることがあっての、ちょっとした決断である。

 
 1930年代のブラックやピカソの影響を受けた抽象画の時代を越えて、30年代末になるとニコルソンは、「前景がキュビズムで認識表現された静物、後景が半抽象の自然の風景という構図」へと辿りつく。
 
 
 ここが山場だと思ったら、あらあら作品はそんなに多くなく、空振りしてしまった気持ちになった。しかし、「前景がキュビズムで認識表現された静物、後景が半抽象の自然風景という構図」の作品は、やはりこの画家の仕事の中で重要なポイントとなっており、独特な魅力を発していた。

 
 この実にシャープすぎる編集力で構成された展覧会の流れでいえば、若きニコルソンの美術運動内部にとどまっていた抽象表現は、大きく転回し自然や気候を表現する抽象表現に変質し、ついには自然や気候を越えて土地そのものを表現するどころか、その起伏それ自体になってしまう事物としての抽象表現になってしまう(この最後の展開はほんとうに驚きでした)。

 
 この大きく転回した発端にあたるのが、海辺の土地に移り住んだ経験であり、その経験の基本がじつに素直に反映された、問題の「前景がキュビズムで認識表現された静物、後景が半抽象の自然風景という構図」なのだった。

 
 私は展覧会に行く前、画集などでこの構図の作品を数点見て、ニコルソンは次のように思考したのだと考えたのだった。


「人が作り上げた物体、事象は、ある力学をもった構造をもっている。その構造は色彩やフォルムによって変化させることができ、物体や事象を革新していく可能性をもつ。それは個的な視覚で認識された色彩やフォルムによっても変化し、まったくその人間だけに意味のある構造になっていく可能性ももつ。


 だが、自然は同じようなある力学をもった構造をもっているにも関わらず、その構造を個的な視覚で認識された色彩やフォルムによって変化させることはできたとしても、構成されできあがったものは、自然からはほど遠く、誰にも意味のないものになりはてている。万人と対峙している自然の構造、万人をも巻き込む自然の力とはまったく違うものになっている。


 しかし問題は自然を描写することではない。自然の手前にある人間の世界の表現を随時革新することによって徹底的に人間的にすること。自然を(表現の個性化に傾いていく具象表現からなるべく離れるようにして)万人がもつ凡庸な表現でとりあえず描くこと。その閾を明確にすることだ。


 大切なことは人間の世界と自然を明確に区別し配置すること。窓枠を徹底的に意識化することなのだ」

 
 まあ、この推理はあってるようなあってないような微妙なところだったんだけど。


 この展覧会の編集でいうと、この構図の時期は短い過渡期に過ぎず、ニコルソンはすぐさま、「自然の構造を個的な視覚で認識された色彩やフォルムによって変化させる」作業を行い、ついには、(うまくいえないのだけど)色彩やフォルムそれ自体を事物化して「万人と対峙している自然の構造、万人をも巻き込む自然の力」そのものを表現してしまう驚くべき地平にまでいってしまうのだが、私はもう少し長い過渡期として、この構図の時期をとらえたい。

 
 どうして、そうしたいのかといえば、「海辺の街に住むということは、いったいどういうことなのか」ということを知りたいからだ。自分の実人生を考える手段として美術を使ってみたいのだ。

 
 まず手前の抽象表現の静物の向こうにある海の構図は、実際に展覧会を見ることよって、私にはある時期の演劇表現を思い出させた。たとえば赤テントの芝居で幕が落とされると実際の新宿の風景が見えたりする表現があった。ある時期からそれは単にスペクタクル的な手法として使われたが、最初期は劇場という制度が異化されてしまう方法としてあった。ニコルソンの絵画の中の後ろにある海は、前景にある美術表現を異化するものとしてあるのではないだろうか。

 
 ブレヒトの演劇が役者にたいする思い入れをふっとはずし、観客に思考をめぐらすことを誘うように、この構図の絵画を見ていると、言葉がたくさん産み出されるのだ。(「言葉がたくさん産み出される」ことが、美術的にはあまりよくなくて、こうした作品の数が減らされたのかと邪推までしてしまうのだが、それはきっといいすぎだろう)

 
 ちょっと自分のことを書く。海辺の街に来て思ったことは、圧倒的な自然の力だった。海と対峙せざるをえない設定の住宅に住んだことと、非常に敏感な体調の女の人と一緒にいることもあって、風や気温、土地の傾斜がやけに体にきた。しかし、自分の表現手段である言葉には、自然は侵食してこなかったような気がする。それはダメな表現者の証拠で、自然というものを飼いならして自分の暮らしの中に入れてしまっているからだと思う。もっと侵食させて、その防衛手段として選ばれる方法に次なる展開の鍵はあるはずなのに……。そこから「人間の世界と自然を明確に区別し配置すること」が意識的に選ばれるはずなのだ。


 
 別にダメな表現者として生きることは、それはそれでよいことなのだけれど、いけないと思っているのは、自分が大切にしていることを侵食させないようにするために、自然というものを飼いならしてしまった時にできる自然のイメージが外部に流れいってしまうことだ。

 
 ここでひとつお話を。今、この近辺の海辺の街では新たなマンションがいくつか出来上がり、若い家族が引っ越してきたりする。窓からは海がちょこっと見えるマンションだったりする。その窓辺のテーブルで食事をする小さな子供と若い夫婦の家族。ママが幸福そうにいう。「パパ、あとは犬だけね」 

 
 このちんけな犬のような自然を飼いならす暮らしだけは絶対に絶対にしたくない。自分はどんなにダメなママやパパになってもいいから、このような犬のような自然だけは共同体で共有したくないね。お話終わり!

 
 ベン・ニコルソンはもちろんダメな表現者ではなかったから、意図的に自然をタブローに侵食させる時期をもつことができた。そして自分の表現を防衛する手段として(次なる展開の画策のためにも)、窓枠という美術史的な意味のある表現と、もうひとつ「限界芸術」という手法を使ったのだと思う。


 
 この展覧会では強調されていなかったが、ニコルソンが セントアイヴス地域の海辺の街に住むようになったきっかけは、この土地に住むアルフレッド・ウォリスというジーサンが描いた絵を見たからだった。この人は漁師や船のスクラップ業者を長い間していたのだが、奥さんを亡くし、寂しさをまぎらわすために、木切れなどに自分で勝手に絵を描いていた人である。まさに限界芸術をニコルソンは海辺の土地で発見し、その手法を自分の絵画にも導入する。後景の海が、「万人がもつ凡庸な表現でとりあえず描かれていること」はその現れだろう。

 
 美術表現が自然にさらされ、その免疫作用としていくつかの美術表現が現れている構図。表面的にはきれいにまとめられて、ある意味でいえば、手堅く表現されたイラストのような絵画は、実はボロボロの絵画であること。だから面白い。このように私は実際に絵を見て思ったのだった。

 
 この「前景がキュビズムで認識表現された静物、後景が半抽象の自然風景という構図」の絵画は、もっといろいろな意味をもっていると思うので、また見にいってみよう。それが過渡期だったとしても「人間の世界と自然を明確に区別し配置すること」は、もう少しつきあってみたい作家の態度なのだ。歩いていける距離にある美術館なのだ。何回か見て、思考を回転させようと思う。

 
 さて、晩年の作品群である。展覧会では「巨石遺跡に匹敵するもの−−最後の開花」というタイトルで編集されていたのだが、ニコルソンの展覧会で巨石文化が出てくるとは思ってもみなかったので、ものすごく驚いてしまった。どうしておどろいたのかは後で書いてみよう。

 
 これはものすごい絵画群で、表現されるものが風景といった視覚的な世界を越えて、土地の起伏となり、それを表現するために、それまでにあった表現方法が意味の変換を行ってしまうのだ。

 
 レリーフとか直線で表現するフォルムとかいったもの、若いうちに身につけていた技法が、何か距離をもった向こう側にあるものを表現するために使われるのでなく、その場で何かそのものになってしまうために使用されるような不思議な事態が起こるのである。

 
 さて巨石文化である。今日、私はカタログを買わなかったから(展覧会を見てその日に書く文章を美術館が用意したテキストを読んで書きたくなかったんです)、なぜニコルソンが巨石文化なのかわからないが、イギリスで巨石文化といえばドルメンである。

 
 ドルメンといって思い出すのは、かつてあった「どるめん」という雑誌である。考古学には詳しくないのではっきりいえないのだけど、70年代、雑誌「どるめん」に集まってくる若き考古学研究者たちがいた。簡単にいってしまえば全共闘思想を経て、天皇制を揺さぶるために現在の天皇制の関連した神道ではない神道以前の宗教世界を探究する人たちである。この人たちの流れはまったくアカデミズムには関係していないが、現在でもしっかり存在している。中沢新一は最近『精霊の王』(講談社)という本を発表したのだが、この本は、「どるめん」人脈との出会いから大きな知識を手に入れて書かれている本だ。石神(シャグジ)といった古代の神をテーマにしたものだが、それはキリスト教が広まる以前のケルト文化のドルメンにまで話は展開していく。限界芸術を語ろうとした鶴見俊輔から、その系譜にある(と私は思っている)中沢新一までの幅は、私にとってたいせつなモノサシでもあるのだけど、そのモノサシではかれるようなモチーフがベン・ニコルソンの絵画群に出てきたとは……。

 
 このモダンな絵描きのドルメンは、冷静に冷静に考えたいことがらである。

 
 この展覧会は、この街に住む友人の絵描きたちと見にいったのだが、彼等はあまり感想はないようだった。別れて家に帰った。海からのものすごい起伏のある土地、その坂道をへいこら昇りながら。