「EASTERN CABARET WORLD」3日目

3日目のセットは、中央ヨーロッパの文化特有のアヴァンギャルド性の展開ということだろうか。20世紀前半のこの地域の文化は、社会主義の前衛という概念の強い影響、都市文化の熟成によって、独特なアヴァンギャルド芸術が生まれている。全スケジュールの対バンの構成は巻上公一だが(構成者として彼は素晴らしい!)、巻上はそのあたりのことも押さえての3日目ということか。ただし、ヒカシューアヴァンギャルドは、ロックのしっかりとした質感とNHKみんなの唄的作品を思わせる楽曲の組み合わせで、私には退屈なものだった。またTRABANDもアヴァンギャルドとは違った立ち位置にいるバンドであり、とても微妙だが、ヒカシューの何かが感染してしまった今日の演奏はどこかキレの悪さを感じた。

クレズマー音楽とは、それ自体はアヴァンギャルドではなく、アヴァンギャルドをかくまう音楽として徹底的に庶民的なのである。

話はずれるが、私たちが子供の頃、胸踊らせた物語には「かくまうこと」がとても大きな要素になっていった。今の漫画やアニメ、ライトノベルで「かくまうこと」は、どのように置かれているのか。また鶴見俊輔のテクストに出てくる寄席などは、社会で失敗した者がかくまわれる場所として存在していた。