『ビーチの社会学』読書ノート1
これからしばらく、この本を読みながら、読書ノートを連載していく。
このblogで考えたいと思っていたテーマが書かれている本を読めることがとてもうれしい。
『ビーチの社会学』(現代書館)。著者はカリフォルニア大学の精神医学部・人類学部教授ロバート・B・エジャートン。翻訳は和波弘樹、和波雅子。原題は「ALONE TOGETHER Social Order on an Urban Beach」(アル・クーパーのアルバムにこんなのがありましたね)
この原題の通り、アメリカ西海岸ある都市部のビーチ(ロサンジェルス近郊の仮名の浜辺)で作られる「社会秩序」をテーマにした本。
フィールドワークされている時期は1970年代中期。南カリフォルニアにチカーノたち(メキシコ系アメリカ人)が多く入り込みはじめた頃。
「この本では、こうした大勢の、しかも多様な人々が、ビーチでどうやって互いにうまくやっているのかを調べている。(略)もっと具体的に言えば、こういうことである-----このように大勢の、歳も違えば人種も違う赤の他人同士が、砂浜にやって来て裸同然の格好になり、互いに極めて接近した状態で一日を過ごし、しばしばアルコールを飲んだりマリファナを吸ったりしながらも、互いになんとか闘争を避けようとすることなどということが、いかにして成り立つのか-----。つまり、この本は、ビーチではどのような社会秩序が存在するのか、またこの秩序はいかにして達成されるのかを問うものなのである」
浜辺に都市を見ていくこと。そのことは、海の家を見ながらずっと私がしてきたこと。この本で語られる「浜辺の秩序」も、「都市の秩序」として見られている。
興味深いのは、浜辺のトラブルが、社会問題のファイルにすぐに入れられるのではなく、社会秩序そのものを理解するための「ひとつの手段」として見られていることだ。
繰り返しメモしておこう。
トラブルを社会問題ファイルに入れて処理しない。人が起こすトラブルには、トラブルを解消していく秩序があり、その秩序がトラブルから見えていくこと。それを忘れてはいけない。
裸同然の人間たちが集まるビーチ。
人々はリラックスしているようで、心も体もオープンにしているようで実はそうではない。原則的に自分の連れしか関わりをもたない人たち。裸同然の人間たちが集まるビーチで実に都市的な人間関係が構築されている。
ライフセーバー、水難監視員は、溺れる人を助けるだけが仕事ではない。都市部のスラム区域からくる人間たちが起こす喧嘩(この本はチカーノやスラム地区の人々に対する偏見が強い。著者は馬鹿だと思うが、そのことがかえって、浜辺の都市状況を見やすいものにもしている)、女性と子供に対する性的嫌がらせ、飲酒や麻薬使用から生まれるトラブルなどにも対応していかなければならない。
ここで興味深いのは、都市で起こるトラブル、犯罪を、上半身裸で赤いトランクスだけの水難監視員が処理していることだ。もちろん警察の手を借りもするが、この裸同然の者たちが犯罪やトラブルに対応していることは示唆的だ。
都市のすべての問題をこのビーチで展開すること。都市とは似ているようで違っている、違っているようでほとんど同じの仕方で問題解決すること。裸同然の格好で。
この本ではビーチの社会秩序のあり方を肯定していくのだろうか。都市の社会秩序構築の理想的なケースとしてとりあげていくのだろうか。これから少しづつ読んでいけばわかってくるだろう(つづく)。