夢の棲む家「ハタ」−チェコのウィークエンドハウス

チェコの小さな小屋について、書こうと思ってずっと書けなかったので、ここでメモをしておく。

チェコの都市郊外にある丘や森、川辺に不思議な小さな家が散在している。森の小人が住んでいるような愛らしい色彩の家、丸い樽に三角の屋根を乗せた積み木の家、ガラスの入った不思議なブロックで組まれた家……。それは、チェコの人形劇やアニメの中で出会う独特なイメージが住居になっているのを見るようだ。その家々の名をチェコ語で「CHATA−ハタ」という。


■英語でいえばハタは「サマーハウス」「カントリーハウス」「ウィークエンドハウス」ということになるのだが、しかしそうした言葉が示す別荘とは趣がどこか違う。それはよりシンプルで小さく、最大の特徴は「自分たちの夢を即興的に表現したセルフビルドで建てられた家」ということになる。


■ハタは第一次世界大戦後のチェコに出現した。発生の仕方が興味深い。その時代、アメリカの西部劇映画が輸入され大流行になったという。そして西部劇はチェコに「徒歩旅行ブーム」を作り出していく。多くの人々が街から街へ、あるいは森の中へと旅するようになった。旅行者は家から離れた場所で宿泊できる施設を求めた。その結果できたのが郊外に建てられた家、ハタなのであった。1920〜30年代のチェコ人の見知らぬ世界への憧れ、旅への夢が生み出した家である。


第一次世界大戦後とは、オースリア・ハンガリー帝国が解体しチェコスロヴァキア共和国が独立した時代。チェコ人にとっては思い入れの強い時代である。その中で生まれた小さな家−ハタ。

 この「徒歩旅行ブーム」は、ドイツのワンダーフォーゲルなどと関連しているのだろうか。話しはズレるが19世紀末から20世紀前半のヨーロッパのボヘミアン運動はとても興味あり。スイスのアスコナ・コロニーに集う反工業文明の人々のこととか、すごく知りたい。誰か教えてください。

■話をまた戻します。1938年、ナチスによる占領。45年、第二次世界大戦終結。48年共産党クーデターによりチェコスロヴァキア社会主義国となる。


社会主義の時代、人々は市街地では個人所有の土地をもつことはできなかった。ただし、リクレーション地区や森や川辺などに準公認的な自分の家を建てることが許された。それがハタの次なる展開となる。

■統制された経済と都市計画の下、コンクリート製の単一的な労働者団地が建ててられていく時代、ハタを建てることは個的な表現を住宅として表すことができる稀な機会だった。ハタを作ること、ハタに行くことが、いつのまにかチェコスロヴァキア人の国民的なスポーツのようなものになっていった。

■この時代、チェコの国境は閉ざされた。鉄のカーテンは自由な外国旅行を不可能なものにしていた。閉ざされた現実の中、逃避の場所としてもその小屋はあった。

社会主義経済の中で個人が住宅建材を自由に揃えることは難しいことであった。物々交換が行われた。さまざまな物を資材に変える独特な工夫が行われた。建設するのは、その家の持ち主である。プロの技術がない者たちは自動車の修理技術からその土地固有の工芸製作まで、さまざまな技術を使って家を建てることになる。

■今ある自分の家では満たされない家の夢が稚拙に、しかしイマジネーションたっぷりに表現されている家、それがハタである。

■週末になると人々は都市の巨大なコンクリートの団地から外に行き、2日間だけハタに棲みくつろいだ。その小さな家で料理をしたり酒を飲んで話したり、愛しあう。それはビロード革命以降の現在でも行われているチェコ人の楽しい習慣であるという。


■このハタの写真を撮影し続けている写真家がいる。
Veronika Zapletalova  ヴェロニカ・ザプレタロヴァー.
彼女のサイトでこの不思議な建築群を見ることができる。
http://www.zapletalova.com/index.html



■「chatarstvi(別荘主義)」というコーナーで見ることができる。
今回のテクストも彼女が送ってくれた資料を基に書いてある。



■ザプレタロヴァーは私がやっているbeach hut研究にも興味を示している。
周辺の小さなスペースに、都市住民の多くの問題が重なりあっていることを
彼女も感じとっているのかもしれない。



■この写真家は、ハタの他には工場の建物を撮影し
建物に走るパイプだけに赤系の色を塗るといった作品を作っており
建築をモチーフにしたいくつかの作品を発表している。
私がとても注目している写真家。
チェコというと美学的な写真家のイメージが強いが、また違った流れの中にいる人だ。