江の電沿線/渡邊直樹編集本/TRABAND

その言葉を読んだ時、ある情景が鮮明に脳裏に甦ってきた。
キリスト教文書センターが出している冊子「本のひろば」増刊号2007が、1冊まるごと読書アンケート特集をしている。
「2006年に読まれたキリスト教関係の本で、興味を感じたもの、読者に推薦したいものを3点挙げて下さい」というアンケートに答えた文章が並んだものだ。
(本田哲郎の『釜ヶ崎と福音−−−神は貧しく小さくされた者と共に』(岩波書店)が、何人かの人に選ばれていた)


そう、この冊子で、ある方が挙げていた本だった。
中村勝己『現代とはどのような時代か』江ノ電沿線新聞社、2005年,1050円」。


その言葉を読んだ時、江の電の窓から見える、赤い十字架の小さな教会の光景が甦った。江ノ島のアパートに週末だけ泊っていた時期があり、その頃は江の電を使ってよく鎌倉に遊びに行っていたのだけど、その教会の脇を電車で通りすぎるたび、その建物に何だかひどく驚くのである。その情景が、「江ノ電沿線新聞社」という出版社名で甦ったのだった。
(この中村勝己という著者は、内村鑑三矢内原忠雄の系譜をひく人らしい)


十字架のある建物は、何故か自分をドキドキさせるんだ。どうしてか。この怖いような魅了されるような感触。大きな問題ではある。
この感触を書いてくれていた作家がいた。高村薫。その感じが味わいたくて、何度もこの作家の小説を読んだりしたのだけど、ある本のインタビューで「1995年の阪神大震災での経験以来、仏教へと関心が向かっていること」を遅まきながら知った。この人のキリスト教との独特な距離感にはとても興味をもっていただけに、何だか残念な感じがした。(親鸞賞を受賞した『新リア王』読み始めましたが、きっと読破できないでしょう)


ある本というのは、平凡社から出た『宗教と現代がわかる本2007』。責任編集に渡邊直樹。『SPA!』「週刊アスキー」などを編集してきたあの方である。ちょっと期待した。
話は少し変わるけど、私は川勝正幸氏と下井草秀氏の『ポップ・カルチャー年鑑』(ダイエックス出版)が大好きで、2006年版、2007年版、ともに何度も熟読し、さらに腰湯本の常備本になっているため、水気で膨れた形となっている、私にとっては愛読書の証の姿となっている本なのだ。
さて、この本『宗教と現代がわかる本2007』は、あの渡邊直樹の編集なのだから、『ポップ・カルチャー年鑑』宗教版のようなものになっているのではないかと思って手にいれたのだった。実際、編集側は、また来年も出したいと思っているようなので、私の想像もあながち間違っていたわけではない。しかし、結果は残念ながらあまりおもしろくなかった。宗教系文筆家の世界には、川勝正幸氏と下井草秀氏のような、対象に向かう深い愛情と卓越した表現力をもった人がいないようだ。唯一読ませたのは、「ロシア正教とユーラシア外交の行方」について書いた佐藤優氏の文章だけだった。
とても残念。もし本当に出るなら2008年版は、もう少しよい人脈を作った上で制作して下さい。


佐藤氏が書く「(ロシア正教の場合)聖霊は父から出るので、人間がイエス・キリストや教会を媒介せずに聖霊について知ることが原理的に排除されない」という考えを基礎にして、ユーラシア空間の性質を説明していく文章は魅惑的だった。そういえば、私は最近、ラカンなどの考えを使って美術研究を行なっているロシア青年研究者と話したりメールしたりしている(ラカンのことなど私はわかりませぬ)。イリヤ・カバコフなんかのことを教えてもらったりしてんだ。さらに集合住宅に住むことを強いられたロシア人のモノと人間の関係性の独特なあり方、そのことを表現していくロシア人アーティストたちのことなんかも教えてもらったりした。


なんでそんなことをしているのかというと、私、伊丹十三記念館図録を終え、ある省庁関係パンフレット(これもすんごいおもしろいものなんで、知り合いには見せるわ)を経て、チェコのある作家の図録制作の仕事に入ったからなのです。ロシア人研究者はその図録の執筆者の一人なんだ。久々のチェコ系仕事です。(他のこともしているので、関係者の方々、許して下さい。連絡します)


そうそう、このBLOGでも紹介したチェコの素晴らしいロックバンド、TRABAND。ヴォーカル男子とトランペット女子が恋人だったのだけど、二人は別れてしまい、そのためにメンバーもほとんど替わり、あの頃のサウンドはもう出せないバンドになってしまったそうだ。なんだか哀しいね。