ベトナムの海辺の最終演劇について

 ベトナム関連の話を4/28の日記で書いたところで、1996年のベトナムの旅で私が見た漁村の演劇について書いておこうと思った。このblogで書いてもよさそうな話であることを、思い出したのだ。


 ベトナム中部の海浜都市ニャチャンで知り合った女性が自分の田舎に一緒に行こうと誘ってくれたので、出かけた先はニャチャンから(軽トラックの荷台に乗る)ミニバスで3時間、さらにまたバイクに乗せられて数十分のところの漁村だった。ホテルから出かけたのは明るい時間だったが着いた時には夜空には美しい月が出ていた。その下に小さな家が何軒も立ち並んでいた。家によっては前庭に人の形をした土饅頭があり、多分、ある期間家の前に埋葬する土葬の習慣があることが想像できた。


 印象的だったのは路地を歩く男たちの姿だった。前をはだけたダボッとした白いシャツを着てさっそうと歩く若い男たち。風をはらむような着方は世界共通の海辺の男たちのいなせなスタイルなのだと思ったのだった。


 道を歩いていると、子供たちが小走りに走っており、村全体がある興奮に包まれていることが感じられ、今夜は祭りの夜であることがわかってきた。ニャチャンで知り合った女性との会話はお互い下手な英語だったから、今になって祭りだから呼んでくれたのだとわかる始末だった。
 

 道を海辺の方へと降りていくと巨大な岩が目の前に見え、その下に神社にある神楽などを演ずる舞台付きの建物があり、周りをたくさんの人が囲んでいる。舞台の上では芝居のようなものが行われているようだ。人込みの間を抜けて舞台にあがっていくと、それが京劇のような化粧と衣装の演者たちが行う芝居だった。


 神社の舞台のような屋根と柱だけのそれなりの大きさのある空間、その板の床の半分は観客が座り、前半分が演者たちの空間である。
 不思議なのは京劇のような独特なデフォルメされた演技を行っている役者たちの間を小学校に入るか入らないかくらいの年齢の子供たちが動き回っていることだ。町内会のクリスマス会やコンサートなどでよくある子供たちが勝手に舞台に上がってしまうあの状態なのかと一瞬思ったが、それはどうも違うようで、子供たちはこの演劇の構造の中で、ある決められた役目をしっかりと担っていたのである。
 

 私たち観客席の最前列には、老人たちが陣取っていた。その老人たちは長さ15センチくらいの算木のような小さな薄い板を何十枚ももっている。芝居が盛り上がってくると、その薄い板を役者たちの足下に投げるのだ。するとそれは舞台の板にぶつかりカシャーンカシャーンといった音をたてる。その投げられた板を拾うのが舞台上の子供たちの役目であり、それを拾い集めある程度の数になると最前列の老人に渡すのである。すると老人たちはまた絶妙のタイミングで板を舞台床に投げていく……。

 
 芝居の内容は、一緒に見ていた女性が「海の神様の物語」と説明してくれて、確かに七福神の中の一人のような姿の人物もいるし、そのような物語なのだろうか、しかし古典芸能という感じではない。印象としては、京劇にプロパガンダ演劇が混ざり混んだような芝居に見える。芝居の要所要所に鳴り響く音楽の質感のせいだろうか。

 
  舞台下手に目を転じてみるとそこには楽隊がいる。この楽隊の編成が不思議なのだった。胡弓のような楽器をもった何人かの音楽家エレキギター、ベース、パーカッション類といった10人くらいなのだが、このエレキ楽器系のミュージシャンたちの風情がインテリやくざ風なのである。その時、私が思い出していたのは風の旅団の座付き楽団A-MUSICであったし、今だったら渋さ知らズなどを思い起こしていたろう。


 胡弓を弾く老人演奏家の中で長髪でタバコをふかしながらエレキベースなどを演奏する姿は、かつてのサイゴンでの知的なしかし退廃的な暮らし振りが浮かびあがる風情なのだった。
 音楽そのものは、もうすでに記憶があやしいのだが、京劇の音楽に近かったような気がする。今でも鮮明に覚えているのは、演劇の盛り上がりとともにかなり人を巻き込むようなメロディとリズムが奏でられ、自分も巻き込まれたその体感だ。胡弓の泣くようなメロディにエレクトリック系の音が被さり金属的なパーカッション類がなる、と同時に観客席最前列の老人たちが投げる算木のリズムが重なって、いやでも演劇は盛り上がってくる。

 
 連れの女性が説明してくれるところによると、この演劇は朝から行われているという。というと12時間以上も連続して行われていることになる。長時間やる演劇はそうめずらしいことはないが、この長大な演劇は非常に新鮮な感じがする。京劇にどこかブレヒトなどを思わせる音楽劇的な要素が入り込んでいるのだ。この楽隊のエレキ系の音が奉納芝居をそれこそ異化させる効果をもっているのだろうか、あるいは役者のキレのいい演技に、赤いキャバレー時代の黒テントの俳優たちの身振りと同じものを感じさせるからだろうか、社会主義文化の音や身振りの混じりを少々感じるのだった。それを見ていると「最終演劇」という言葉が頭に浮かんでくる。神楽の演者の動きや芝居の展開は身体の古層のリズムを呼び起こし、そして高揚させられるその時に非常に近代的なドラマツルギーが被さってくる感覚が絶妙で、「最終演劇」という言葉を思わず呟いてしまったのだった。


 芝居の盛り上がりは幾度かやってきたのだが、頂点に達したのは深夜12時過ぎ、言葉はわからないのだが、内容が大団円に近づいていくことはわかった。音楽が盛り上がる、役者はミエを切る、老人たちは大量の算木を投げる、すると観客席後方、村の若者たちが興奮して村中を走りだすのだ。ベトコンは銃をまだ隠匿していたのだろうか、村の男たちがライフル銃をもちだしてガンガン打ち出す! すごい興奮が村中を被う。

 
 一緒にいたベトナムの女性が、危ないから家に帰ろうといいだす。あなたはアメリカ人と間違えられるかもしれないという。自分が? その靴はアメリカ的だからと履いていたスポーツシューズを指差す。そこへ、胡弓とエレキベースの音の波が被さり、銃の音が強烈にし、酔っぱらった若者たちがこちらへ駈けてくる。白く顔を塗った役者が奇妙なミエのポーズをつくる。私たちは後ずさるようにして観客席から抜け出した。