ヴィルムヘルム・レームブルック展を見に行ってきた

スーパーマーケットの駐車場に車を置き、ニンジン、レンコン、豚肉などの買物をして、まだ少し時間が会ったので、一色海岸沿いに建つ神奈川県立近代美術館にヴィルムヘルム・レームブルック展を見に行ってきた。


1910年代に作品を発表していたドイツの彫刻家。展覧会は、7つのパートに分けられ構成されており、やはり第一次世界大戦に従軍した経験前後の「戦争の苦しみ」と名付けられたパートの部屋あたりから、その彫刻は見る者に迫ってくるものになる。


負傷した兵士の姿や手当てをする看護婦、女を強奪する男、思い悩む老人……そのような痛み苦しみ悲しみの者たちの中から、すっと「立ち上がる青年」や「ものを思う女」と名付けられた彫刻の形が浮かび上がる。流線形のラインがどこかで感じられるレームブルック独自の肉体の造型の仕方がその部屋にはあった。


流線形というと未来を指し示す乗り物を連想してしまうが、その流線形は未来や乗り物とは違ったもので、流体の抵抗を最低限にした形が流線形になっていくように、人が世界との抵抗を小さくし生命体を燃やすなめらかなラインをもった体の形といったらいいだろうか。


世界との抵抗を小さくするためのラインをもった体。それがレームブルックの特徴だろう。


この作家が生きていた20世紀初頭というと、「労働する体」が大きくクローズアップされた時代だ。社会主義者によって見い出された「労働者の体」。知的な市民同士の対話による変革ではなく、群集が動くことによって世界が革命できると知った社会主義者は、労働者の体の生産性、暴力性に注目する。レームブルックがレームブルックらしい身体性をもった彫刻を作り出すその時代のドイツは、社会主義的視覚からとらえられた健康的で戦闘的な労働者の体が大きく取り上げられ、次なる健康的で戦闘的で且つ美学的なナチス的労働身体が準備されていた時代だった。


社会主義の認識は生産する労働者だけでなく、労働者らしい休む体、余暇の時間に遊ぶ体のイメージも作ったし、以後あらわれるナチスも会社の社員旅行や運動会のあり方を上手にプロデュースしたように、労働者の働き休み遊ぶ体を規定していった。


そのような体ではない体。ある目標を自然状態の世界から生産するために、世界と闘う体とは、まったく反対の、世界との抵抗を小さくするラインをもった体がレームブルックの体だ。
 

美術館に置いてあったパンフレット「ヴィルムヘルム・レームブルックへの感謝」(1986年にデュースブルク市で行った講演をテープ起こししたものを美術館のスタッフが訳したもの)によると、ヨーゼフ・ボイスは、若い時にレームブルックの作品を見て「彫刻によってなにものかを成し遂げることができること」を確信したという。


こうした、一見すると古臭い彫刻展に、さりげなく現代美術家ヨーゼフ・ボイスの講演会のテープ起こしをしたパンフレット(それもボイスらしい貧しい形で印刷コピーされて)を置く方法は、現代の美術館や画廊がよくやる美術品の巧妙な価値付けだから、気をつけつつ読んでみようと思いつつ、読んでみると、やはりボイスの言葉は面白い。


そこには、「何かを生み出すために世界と闘う体」ではなく、「徹底的に守らなければいけない体」が問題視されていた。


守られなければいけないが、それは脆弱ではない、ぬっとした働かない体。いい年をしたひきこもりのわが子が、狭い自分の家にいるような感じが、確かにレームブルックの作品の回りにはある。


自殺した彫刻家自身のことを考えるともっと悲劇的な感じが、こうした彫刻を囲む場の雰囲気に立ちこめもするが、そんなことを思わないで、当時の社会主義的な体、その後のナチス的な体との対比を考えると、レームブルックの作品の回りを囲む空気にはひきこもる体や、ニートする体を囲む空気の匂いも感じられるのだった。


美術館を出て、すぐに降りていくと一色海岸。私にとって浜辺は、さまざまな労働のあり方や労働しないことを見る場所になっている。そんな海岸線を歩きながら駐車場にまで戻っていった。