オアシスパンフ作り(建築という仕掛け)

 昨日は印刷所からあがった半完成品のパンフレットを、ハサミで切って、折り直す作業を海の家オアシスの仲間とビールやコーラを飲みながら行っていたんだ。
 
 ADが画家カリシュウと決まった時点で、フィニッシュは手作り作業と決めていた。彼は目の前で何百枚、何千枚という絵を描くような作業をしている絵描きで、彼の仕事を見て、当初、私はデザインセンス優先よりは、何千枚を相手に行為するということを大事にする形で、独自なデザインにしようと考えたのだった。
 
 「工場でわざと完成させず、半完成品を現場にもっていき、その場で手づくりしていくこと」。スペース論の要を私はここに見ているんだ。

 アルミ建築のポイントもここにある。工場で家を組み立て、そのまま空輸するのではなく、現場にいってパーツを組み立てること。ほんとは空輸できるんだけど、それをしないで集団で作業をする意味。

 
 最近思っていることは、建築っていうのは、工場の生産過程を切りのいいところでストップさせる、その決断の方法として意味があるのではないかということだ。


 工場で作れてしまう製品をどのあたりで半製品にし、自分たちのコミュニティの労働の現場にどのように持ち込んでいくのか。その方法として建築という技術はあるはずだ。

 
 
 オアシスパンフ作りを、オアシスのきれいな女の子たちと一緒に作業しながら、そんなことを考えていたんだ。