『ビーチの社会学』読書ノート4

『ビーチの社会学』(現代書館)は、随分前に読み終えていたのだが、ここに読書ノートをupしていなかった。残りは第9章と第10章だった。9章は「サウスランド・ビーチに来ている女性たち」というタイトルで、海水浴に来る女性たちの行動についての調査/考察。そして第10章は「結論」ということになる。


ビーチではトラブルが起こる要素がものすごく多くあるにも関わらず、トラブルがそれほど起こっていないこと。その考察が、女性に関するパートでも繰り返される。


その要因は次のようになる。
1、水難監視員と警察による保護。
2、ビーチにやってくる人々によるビーチ状況定義の仕方(そこをリラックスするために使える安全な場所だと思っていること)。
3、ビーチにやって来る人々の決まった行動パターン(自分のテリトリー外への無関心)。


第10章の結論部分でも、この考察は繰り返される。
「たがいに干渉されない状況に置かれたら、たがいにうまく安全にやっていける。その場所を安全だと考え、さらに警察に見守られていられるなら」という結論だ。


この結論は、なんだか退屈だ。その退屈さは村上春樹の小説の世界を思い出させる。もう少し詳しくいえば、1995年以前の村上春樹の世界。


95年、私たちは神戸震災と地下鉄 サリン事件を経験したのだった。
この本にあるのは、日本でいえば95年以前の都市状況がビーチに反映している世界だ。都市外部にある圧倒的な力を意識していない律儀な世界。


天候の激しい変化があった日、あるいは水難事故があった日、そうした自然の強力な力が発現される日の犯罪数のデータなどを、95年以降の社会学者は検証するだろう。


こんな本を推薦して大月隆寛、大丈夫か? 帯の推薦文に大月氏が書いた中島みゆきの歌詞を使った海水浴場の認識も、古すぎるぞ! 


私が住んでいる三浦半島や湘南には1923年の関東大震災によって隆起したり変形した浜辺がいくつかあるが、ニュースタイル海の家は、1995年以降の浜辺に立つスペースなんだと思う。