「ニュースタイル海の家」と「『暮らしの手帖』ポストモダン版」について

 

■海の家の最大の魅力は、夏の到来とともに浜辺に建てられ、過ぎ去ってしまえば解体されてしまう仮設建築であるということだろう。
 浜辺を不法占拠している海の家ということで興味をもって、1年中営業をしている九十九里浜の海の家に行ったことがあるが、どこか濁った空気が溜まっているようであまり雰囲気はよくなかった。このスペースはやはり季節限定で存在するから素晴らしいのだと納得したのだった。
 
 
■ニュースタイル海の家は、カフェ文化を体験した者たちが海の家を再発見したことによってできあがったスペースだ。その発見の仕方をもっとみつめていくと、音楽をあらたな形で体験できる場所としての発見、リラックスできるスペースとしての見直しなど、いくつかのパターンが見えてくるが、今回ここでとりあげてみようと思うのは、「季節限定の建築物」としての海の家である。

 
■季節限定建築物には、耐用年数の長さを誇るビルディングからは見えてこないものがある。それは夏が来れば繰り返される「構築/解体」の運動を含む大きな時間のサイクルだ。
 
 
■海の家の時間のサイクルの一例を紹介しよう。葉山町一色海岸に建つニュースタイル海の家のひとつ「ブルームーン」のスタッフたちは、例年5月の下旬、竹や杉の伐採作業を行う。それから6月の頭には浜辺に資材を運び出し建設作業を開始する。7月1日から営業を開始し、人々が家族や恋人と連れ立って竹の小屋に集まってくるのを迎える。人々が海を見ながら料理や酒、音楽を楽しむ日々が約2か月続く。8月末の大盛況のラストパーティ。その次の日から解体作業が始まる。ただ壊すのではなく、来年再び使用できるように考え解体し葉山町内にある倉庫に資材を収納していく。来年の資材出しを意識して収納する順番を考えながら作業を行う。

 
■季節限定の仮設建築の解体作業の特徴は、また巡ってくる来年の季節の構築作業が含まれていることだ。この労働が彼等を大きな季節の巡りに帰属させる。実際、夏の終わり、来年の建設時に最後にセッティングされる食器類を最初に、一番始めに使用する竹などの資材を最後に倉庫に入れていく収納作業につきあっていると、また来る未来の夏が体に深く感じられるのだった。
 
 
■さらに、その時だけの目的で建築されるイヴェント用の仮設建築と違って、海の家の資材それ自体が時の巡りを感じさせてくれるものということもある。湘南地方のオールドスクール海の家は、通常鳶職の人々によって杉の丸太を組んで作られていくが、その杉の柱の砂に埋まった部分は、砂が含む水分によってひと夏で腐ってしまう。そのため次の年に使用する場合は朽ちた部分は切り、短い柱として使用する。それは繰り返され、順番に短い柱になっていき最終的には、母屋束(もやづか)という屋根の勾配を支えていく短い部材になるまで使っていく。

 
■このような鳶職の人間にはあたりまえの建築資材の再使用は、カフェ文化を経験した人々には、中古品を上手に使って店を構成していくようなこととして再解釈され、たとえばニュースタイル海の家でよく使用される竹は、柱から椅子、そして色褪せてくれば小割りにして装飾部分の部材、最後には短く切られて灰皿にまで使う。こうした作業をしていく中で、彼らは巡る季節のサイクルを深く感じていくのだった。

 
■ただ仕事をするのではない。仕事をしていく中で時間のサイクルと深く交流できること。こんなことはあたりまえのことなのだけれど、今、都市文化の中ではとりわけ熱くみつめられていることなのだと思う。

 
■今、『ku:nel』(マガジンハウス)を筆頭に、「『暮らしの手帖』ポストモダン版」ともいうべき雑誌が注目されだしている。どこが『暮らしの手帖』をポストモダン化しているのかといえば、『暮らしの手帖』の要であった商品テストというモダニズムを無視して、この雑誌から「生真面目さ」、「健気さ」、「素朴」、「無名性」、「商品との距離感」などのイメージを引用し、2000年代的に編集し直しているところである。

 
■こうした雑誌には、さまざまな仕事をしている人々が登場する。他の雑誌だったらアーティストが登場しているメインのページに、家具を黙々と作ったりパンを焼いている人が紹介されている。また、それは家具やパンがメインになっているというよりは、彼等の作業の仕方に焦点があてられている。ここで注目したいのだが、その作業は時間のサイクルと深く交流している行為として映像やテクストによって描かれていることだ。

 
■たとえば、『ku:nel』2004年5月号には、料理家の高山なおみが、佐藤初女という精神障害者ためのスペースを運営している老婦人の料理の仕方を次のように書いている。「タオルに包んだニラを手の平にのせ、指先を揃えて、上からそっともう一方の手を添える。押さえるというほど力は入っていない。ゆっくりと、ゆっくりと。
 それはまるで、人の体に手を当てて、病気を治しているのと同じ手つきだった。私は、じっと見ているうちに、子供の頃のことを思い出した。風邪をひいて寝ていると、冷たい空気が入らないよう、布団の上から体の形に手を当て押さえてくれた、あったかい父の手の平のこと」
 このように、料理の身振りが、手際のよさや美味しさに直に結びつかず、記憶されている時間のサイクルへと迂回しつつ語られていく。「ザクザクではなく、包丁をゆっくりと前後にずらすようにしてそっと切っていく」リズムが聞こえてきそうなニンジンを切る仕草や、ゆったりとした円運動が感じられるすりこぎを使った手元を撮った写真とともに、こうしたテクストが置かれている。
 こうした語りと映像によって浮かび上がってくるのが、手仕事の向こうにある「ゆったりと巡る時間のサイクル」だ。


■多分、アーティストの作業だとすると、その時間はサイクルを描かない。自分の表現ジャンル、自分が影響を受けた作品が生まれた過去から、自分が新たに作品を産み出さなければいけない未来の表現へと流れていく、ある方向性をもった時間になってしまうだろうから。

 
■『暮らしの手帖』と『暮らしの手帖』ポストモダン版の大きな違いは、その雑誌が表現する「時間」がしっかりとした方向性をもつか、サイクルを描くかの違いだろう。 『暮らしの手帖』の目玉企画である商品テストは、理想的生活へと向かっていく合理的なテストが繰り返される時間である。しかし、『暮らしの手帖』ポストモダン版には向かうべき目的の生活はない。あったとしてもその生活じたいが「日々繰り返されるあたりまえで素敵な生活」になっている。

 
■ここで話がずれるけれど、少しだけ書いておきたいことがある。『暮らしの手帖』ポストモダン版雑誌群の原点は、2002年にイラストレータ大橋歩が出した雑誌『Arne』(イオグラフィック)にある。
★★★(この認識は下のコメントのひびさんがいわれるように間違っていました。先に『ku:nel』の第一号は出ていました。改変前のテクストでは『ku:nel』が真似をしているような書き方をしていましたが、それは間違っていました。『ku:nel』編集部の方々、大変申訳ありませんでした)★★★

 
大橋歩は、『暮らしの手帖』ポストモダン版雑誌をどこから思いついたのか。
★★★(このあたりの原稿も変えていくつもりですが、少しの間、このままにします。申し訳ありません)

いくつかアイデアの源泉はあるだろうが、その大きなきっかけに健康保険組合などが出している雑誌類の仕事があると思う。私は仕事で関わっていたので、こうした媒体もよく知っているのだけど、大橋歩が高齢者向けの健康保険組合雑誌で連載をもっていた時期が『Arne』発刊製作時期と重なっていたはずだ。

 
大橋歩が関わっていた高齢者向けの健康保険組合雑誌とは、定年後の暮らしをしている人に作られた年金や健康維持、食べ物、趣味などについての記事で構成されている冊子のような雑誌である(こうした雑誌は実はものすごい部数が出ており、構造的な問題を抱えている健康保険をとりまく商売のひとつともいえる)。ここで流れている時間は「定年後の毎日が日曜日のような時間」ともいうような「方向性をもたない時間」である 。60歳以上の人の律儀さは、健康も食事も雰囲気には流されずある種の合理性と深く関わっているけれど、やはり全体は定年後の時間の雰囲気が全体に漂っている。そういった雑誌で、あの平凡パンチの表紙を飾った大橋歩が入れ歯を作ったエピソードをイラスト入りエッセイで書いているのを読んで感無量だったが、彼女はそういう仕事をしながら、「定年後の毎日が日曜日のような時間」が、現在の若者たちが感じてる時間の感覚とリンクするのではないかと思っていたのだ。思うだけは誰もができるが、大橋歩のすごさは、その時間の感覚を自分で撮影する写真や文章、デザイン(デザイナーはマガジンハウス系のはず)でしっかりと表現したことだ。そして表現した雑誌は、多分自分と同じ世代のお洒落な中高年に向けてという意図もやはりあったと思うのだが、その意図を越えて、結果的には若い女性が反応してしまった「サイクルを描く時間」を醸し出す雑誌になっていたのである。

 
■さて、『暮らしの手帖』ポストモダン版が見せる、あるいはニュースタイル海の家が見せる「サイクルを描く時間」は、私たちにとってどんな意味をもっているのか、ということについて考えてみたい。


■ひとつは、その出自にかかわる「定年後の時間」が示すものだろう。この日本の社会がヨーロッパのような停滞した時間を過ごす社会になったことと深く関わる。これは現在の海水浴場の様子を見ればすぐわかることだ(海の家ということで、こうした例を出しておきます)。労働者家族が明日の英気を養うために朗らかに休養をとり元気に遊ぶような雰囲気ではなく、ただ、のんびりとだらだらとリラックスしていた人々が散在するゆったりとした時間が漂っている現在の海辺である。高度成長期の海水浴場を知っている人間には感無量の眺めであろう。このような海辺になってしまった社会、定年後の時間が社会全体に広がっていくような社会で、サイクルを描く時間は、やはり注目せざるをえない性質の時間だろう。


■またサイクルを描く時間には、フリーター層が多くなった現象とも深く関係するだろう。ニュースタイル海の家を運営する人々の職業を見ていくと、フードコーディネーター、市議会議員、ミュージシャンなどもいるが、実際の労働の中心になっているのは、やはりフリーターの若者たちである。

 
■フリーターとはどんな労働者だろうか。ある労働現場にいて一人の労働者として時間を過ごすことをしていけば、それがどんな労働であろうと、どんな人間であろうと、熟練はしていく。それがどんなとるにたらぬ仕事であろうと、仕事全体のあるいは仕事の細部の仕方が熟達していく。それは難しいことではないし、それなりの楽しさを得られることではあるが、それを拒否する人たちがいる。そうして労働現場を変えていく労働者がフリーターだろう(時間論ということで、こう定義させてください)。

 
■なぜ熟練を避けるのか。熟練すれば生産者そのものになってしまう、消費者としての快楽を充分に知り尽くしている人間にはそれを避けたいから、当事者にならぬことによって自らのイノセンスを守りたい、この社会の形へのやわらかなボイコット……いろいろと考えられるが、やはりその理由は、徹底的に消費者として育てられてきたことが大きいように思う。


■熟練することを拒否するために、彼等は熟練に向かっていく時間の流れからあとずさりするように離れようとする。1990年代前期までは、あとずさりしていけば、そこには何本かの河が存在し、その流れの中に自ずとはまりこむものであった。たとえばそこにはカウンターカルチャーの時間が流れている河があった。それは大袈裟にいえば来るべき革命にむかっていく方向性をもった時間の流れであった。また大衆文化の河もあった。そこには、無数の芸人が作ってきた過去の遺産があり、そこから生み出された同時代的表現、さらに未来へ向かっていく突出した芸能の表現があり、やはりある方向性をもった時間の流れがあった。しかし、大雑把にいうと冷戦構造解体とデジタル複製技術の加速的発展による歴史性の剥脱によって、その河は凍りつき時間のない世界になってしまった。

 
■その凍りついた時間が支配する世界でも、たくましく生きるようと考えた者たちがいた。彼等が生き抜くために発見した時間、実はとても微妙な時間が「サイクルを描く時間」なのだと思う。

 
東浩紀伊藤剛は「オタクから遠く離れてリターンズ」という先駆的な対談で次のような指摘をしている(1998年10月に刊行された雑誌『クイック・ジャパン21号』に掲載されたものに、後から解説と補足を加えたもの)
http://www.t3.rim.or.jp/~goito/otato-R1.html

「伊藤■今日、(コミケの)会場を見ていて面白かったのは、彼女たちのサークルって、たいがいすごく可愛いテーブルクロスを机に掛けているんですよ。中にはオリジナルのもあったりして。他にもラミネートのバッヂをたくさん飾ったり、とにかくチマチマした手芸的なものがこう、ぶわーっと押し寄せてる感じがあったんだよね。それで、そういう目で彼女らの同人誌を見ると、奥付けページのレイアウトとかがものすごく凝っている。それがDTPではなくて手書きだったりする。細かなところに小さな工夫を積み重ねて行って、自分の趣味で美しく埋め尽くしましょう、という感じがする。
 そこで、ひとつ思い当たるのが、『暮しの手帖』なんですよ」

 
ミニコミの世界でも、ここ数年「チマチマした手芸的」装丁をした冊子を見たりしていて感じていた動向だった。ここで注目したいのは女性がそうした動向を担っているということだ。
コミケの女性たちを先駆的な存在として、『暮しの手帖ポストモダン版は動き出したのだろうか。
(この日本社会では多分、女性と男性では熟練に対する関わりが違っていると思われる。そこにポイントがあるはずだ)

 
若い女性たちが、それもオタク文化の中にいる若い女性たちが、熟練する方向性をもつ時間を拒否し、また時代の刻印なきCDや漫画が散乱する無時間も退け、ましては革命に向かっていく時間などにはまることもないように選びだしたのが、家庭の中に流れている「サイクルを描く時間」だったろう。

 
■この動向は、先の対談で東が指摘するように戦前の民藝運動と共振するものだ。近代ヨーロッパの方向性をもった時間を拒否し、時代を背負った作家名が刻印された作品を避け、同時にプロレタリア芸術にはまることのない民藝運動である。『暮らしの手帖』ポストモダン版に登場する人々が芸術家ではなく工芸家が多いのも、このことと深く関与していることだろう。
(ただしこの民藝運動に対して私はあまりに知識が足らなさすぎるので、もう少し勉強した時点で、文章を書いてみたい。また民藝運動の芸術家/職人問題は、エヴァンゲリオン評価で現れたオタク文化の分裂問題とも関係しているので、オタク研究の人は勉強お願いします)


■しかし、凍りついた時間が支配する世界で、たくましく生きようと考えた者たちは、このような『暮らしの手帖』ポストモダン版に収束してしまう女性たちばかりではない。そこには、いくつかの流れに関わる人々がいる。その中の集団がニュースタイル海の家を作った若者たちの流れではないだろうか。

 
■ここにはレイブカルチャーの影響もあるだろう。ある音楽が生み出された歴史性をまったく無視し、自己からすべて等距離に置かれたレコードをDJたちが任意に並べていくクラブカルチャーは、現在のフリーターの無時間性と呼応しているとも読める。こうした現象を踏まえると、自然の中でイベントを行うことによって、参加者にその時その場の一回性を強烈に刻印するレイヴカルチャーは、クラブの複製文化を乗り越えようとする文化改革行動とも読みとれる(このあたりレイブ体験が足らないのでスベッテます。体験を重ねたうえで補足していきます)。それと同じように、自己からすべて等距離に置かれた家具や雑誌、レコードなどを任意に並べ構成していくカフェ文化を越えようとした者たちが、この海辺で発見したのが海の家なのではないだろうか。
 

■レイヴが自然の中で行うことによって、1回限りの歴史的な快楽を手にいれようとするならば、こちらは巡る季節のサイクルを自然から発見することによって、大きな快楽を手にいれようとしたのだ。
時間を失ったフリーターたちが、自分だけにあった時間の流れを手にいれるための仕掛けとして作った仮設建築、それがニュースタイル海の家ともいえるだろう。

 
■実はこの夏、ニュースタイル海の家が立ち並ぶ一色海岸沿いの神奈川県立近代美術館では、興味深い展覧会が催される。「柳宗悦の民藝と巨匠たち展」である(6月26日〜8月29日)。


柳宗悦(1889−1961)は、大正末期に<民藝運動>を推進した人物です。柳は、「民衆的工藝」いわゆる「民藝」に独特の美しさを見出し、日常生活で用い、「用の目的に誠実である」ことが「民藝」の美の特質であると考えました。本展では、柳の民藝運動に影響を与えた朝鮮の工芸や日本各地の民芸品さらに民藝運動に賛同した作家たちの作品約150点を展示します。そして、近代日本美術史上の「民藝」の意味を探る展覧会です」(近代美術館のサイトの宣伝文より)
http://www.moma.pref.kanagawa.jp/museum/exhibitions/2003/index.html

 
■こうした展覧会である。この美術館はほんとうに海辺の美術館だ。展覧会を見て中庭からするすると下りていくと1分もたたずに浜辺に出る。そこには、ニュースタイル海の家が砂浜に立っているだろう。


beach hut on the beach!


■私たちの社会の時間の問題を考えることができるロケーションが、この夏、一色海岸には配置されているはずだ。お楽しみに!

(尚、このTEXTは、雑誌『MEMO』2002年9月号(ワールドフォトプレス)、『X-Knowledge HOME」2003年9月号(エクスナレッジ)で発表した原稿を全面的に書き換えたものです)