海の家で「死霊」を見る

さて、サザンビーチにいったのは、建築をしている中江伸也が作った海の家「茅ヶ崎戯曲」で埴谷雄高の「死霊」をモチーフにした芝居をするというので見にいったのだ。
茅ヶ崎戯曲は、今月号の『Invitation』でも書いたように小さな正方形の可動式のパネルが合わさってできた壁になっていて、中に入って自由に1枚づつそのパネルを開けていくと、とてもおもしろい形のフレームで切られた海辺の風景を見ることができる。


観客はその海の家の中に入り、砂浜で上演されるパフォーマンスを見ることができる。このアイデアは素晴らしい。しかし惜しいことに、そのアイデア倒れの作品であった。初めは日本の女の人らしいプロポーションをもった若い女性ダンサーのモダンダンスから始まるのだが、日本人のプロポーションに対する批評性をまったく欠いたモダンは、私が一番嫌いなものなので、それだけで興味を失ってしまった。こういう人は日本のダンスの歴史といったものに少しでも触れているのだろうか。最近、親の資産のおかげで若いうちからアメリカやヨーロッパの芸術系の学校に行っている人が多いが、そのような人たちが陥りがちな自国の芸術史をまったく知らない表現のつまらさながそこにあり、私はこの女性ダンサーがどんな人がまったく知らないが、なぜか、この人はその部類ではないのかと思ったのだった。


砂浜では埴谷雄高の「死霊」の実際の本を読むことをモチーフにして、遠景、近景をそれなりにつかってパフォーマンスが行われた。
私は本を読むという仕草を見せる表現があまり好きではない。ものすごく安易な表現方法などと思う、 ゴダールの映画でもよくそんな場面に出会うけれど、「ゴダールは安易な作家である、その安易さを使って一生懸命何かに向かっている作家」だといつも思うのだ。


私は読書するという考えてみればとても不思議な行為には思い入れがあり、また私は自分が本を読む姿に対して「とても素敵ね」と女たちに何度もいわれたこともあり(これはウソ)、読書行為がそのまま出てきてしまう表現がどうも好きになれないのだ。


ゴダールが出てきたことで思い出したことを書いておこう。8/21の、葉山・一色海岸、海小屋で行われた渋さ知らズの最終場面は全員が波打ち際に出て演奏し、ある者は海に飛び込むというものだったのだが、「ワン・プラス・ワン」の最終場面の浜辺のシーンのように高揚感のあるものだった。「ワン・プラス・ワン」のゴダールは「映画で海辺が出てくれば盛り上がるものだ」という安易な考えを、またこの作家らしい一生懸命な方法で観客にぶつけてきて、不思議なことに、この作家の思惑どおり映画全体が盛り上がってしまうというものだが、海小屋の渋さ知らズも「最後は波打ち際に観客と出れば、ぜったい盛り上がる」という安易な考えを真摯に行うことによって、音楽が音楽として盛り上がっていくというものだった。


この「死霊」も浜辺で行われたのだが、どうして盛り上がらないのだろう。それは記憶というものがないからだろう。浜辺をウェディングドレス姿の女優がスローモーションで走るといったどうしようもない個人映画の記憶もふくめてたくさんの映画の記憶を踏まえて「映画で海辺が出てくれば盛り上がるものだ」というゴダールの安易な考え、ジャパニーズアンダーグラウンドのたくさんの祝祭の記憶を踏まえたダンドリストがもつ「最後は波打ち際に観客と出れば、ぜったい盛り上がる」という安易な考えが、そこにはまったくないからだろう。
(次に安易な考えを冷静な気持ちで行う技術が必要なのだが、ここでは書かない)


埴谷や「死霊」なら、ものすごい記憶がうずまいているはずだ。笑ってしまうくらいこのクセモノクワセモノ作家にまつわる日本文学的記憶は無数に存在し、それを自分らしく若者らしく安易な考えにまとめていくこともできたはずだ。しかし、このパフォーマンスの集団は「死霊」をただ読み、ただダンスのような芝居のような仕草を浜辺でしただけだった。


聞けば、このパフォーマンスの集団は、慶應SFCの子が多いと聞いた。私はSFCという機関は、芸術関連のなんとか基金だとかのお金をもらう企画書を書く事がうまい子供たちばかり育てている学校という印象があって、いくらなんでもそういった印象は一方的でよくないよくないと思っているのだけれど、こういうものを見せてもらうと、やっぱりその誤解は誤解として深まっていくのだった。


考えてみれば、この作品も、何かの助成金をもらう企画書を作るにはぴったりではないか。埴谷というビッグネーム、海の家というある意味での文化の最前線……。


私は中江が作り上げた茅ヶ崎戯曲という空間をすごく評価している。ある人たちから見たら、ただの小屋だろうけれど、とてもおもしろい空間だと思っているんだ。こういうところでは、もっともっと面白いことをしてほしい。企画書を書くなら早く広告代理店でも就職してそこでスポンサーをだます企画書をたくさん書いてほしい。