2000年代の カーシェアリング

相模湾が見渡せるバス停。東京に行く時はそこで待っている。
すぐそこで、近所のサーファーが波乗りをしていたりしているから、それを見ていたりする。ぼーっと海なんか見ているせいか、そして駅までいく道路がこの海沿いの道しかないせいか、知り合いが私を見つけて、自動車をバス停のところでわざわざ停めてくれ拾ってくれることがある。


親切がうれしい。駅までの車の中の会話が楽しい。そして、いつもの乗り物の使い方とは違う方法で移動していることがとても新鮮だ。


今年の夏、海の家OASISのパンフでは、PARK&RIDEを提唱してみた。駐車場の問題、渋滞の問題を解消するために、逗子周辺の駐車場を紹介して、そこからはバスで海の家に来てもらう方法である。


それをやってくれた人がどれくらいいたかというと、あまり自信がない。しかし、これは出発点だと思う。何の出発点かといえば、乗り物の使い方のバリエーションがある社会への出発点だ。私たちは「いつもの乗り物の使い方」だけをしすぎているといつも思う。もっともっとバリエーションをもっているべきだ。


カーシェアリングが地球を救う』(村上敦 洋泉社)という本が最近出た。
カーシェアリングとは車の利用時間の棲み分けによる車の共有のことをいう。乗り物の使い方の新たなバリエーションのひとつである。
著者の村上敦は、ドイツのフライブルグに在住し、環境問題のレポートなどをしている。ということもあり、ドイツの平均的な車の利用状況は1日1時間以内であり、残りの23時間は車庫/駐車場に放置されているという調査を書いている。


また1994年のケルン交通科学研究所の調査によれば、カーシェアリング活用によって120万台の車所有台数の削減効果(ドイツの総登録台数の3.5%)が見られるばかりか、年間72億キロのマイカー走行距離が抑制されるという。


1998年のドイツのエコ研究所とVDC(交通クラブ・ドイツ)の共同調査では、もし期待されるカーシェアリング加入者数が達成されれば、走行距離の削減とカーシェアリングに使用される共有車(燃費効率の高いものではあれば)によって、年間170万トンの二酸化炭素素の排出量が削減されると算出している。


スイスやドイツではビジネスとして、カーシェアリングを行う会社や協同組合のような組織がかなりあること、この車の使い方が市民生活の中にも溶け込んでいることが本書ではレポートされている。


エネルギー問題にとってもカーシェアリングは大きな意味をもつものだ。本書では2015〜2020年あたりで石油消費量のピークはやってきて、石油は急激な高騰現象が起こり、一般の人々は今ままでのような車の使い方はできないのではないかと書いている。


環境問題もエネルギー問題も大切だと思うのだけれど、私のような者が注目しているのは、使い方を変えることによって起こる人間の変化だ。たとえば建物の使い方を変えていくと、そこに働く者住む者の何かが(微細だとしても)変化していく。それと同じように交通機関の使い方も大きな影響を及ぼす。自動車の所有の仕方、使い方を変えることによる人々の変化を見てみたい。


日本では道路運搬法、レンタカーに関する法律によってスイスやドイツのような展開が難しいことも本書では触れられているが、ネットで調べてみると日本でも様々な試みが行われている。いくつか調べてみようと思う。


私は雑誌で何度か書いてきたのだけれど、1960年代の日本の高度成長期の労働者たちが集う活力ある海の家の経験を踏まえ、90年代末期に脱力するスペースとしての海の家を発見してしまったことが、海の家に興味をもったきっかけだった。奮闘する装置がその活動のスピードを緩め、次の社会のために機能を変化させていくこと。その変化に力を貸したり観察したりしたいのだ。自動車も、社会の装置としてもっともっとスピードを緩め、違うものへと、その機能を変化していってほしい。