ビートニクが集う海辺の街。それを「生息地」として見ること。

SOLAYAの帰り道、真っ暗な夜空にたくさんの星々。丘の上から海を見ながら家へと向かう。タヌキやキジが棲む林に沿って蛇行していく小道をゆっくり降りていく。
「命あるものは何であれ、生息地が必要だ。それは成長するための文化の温もりと湿り気をもったもの」と書いたのはアメリカの詩人ゲーリー・スナイダー。そこで「生息地」として指し示されているのは、1950年代のビートたちが集っていた場所サンフランシスコの海辺の街ノースビーチである(『惑星の未来を想像する者たちへ』山里勝己、田中泰賢、赤嶺玲子訳 山と渓谷社)。


そしてこのノースビーチの他に、ビート史に残る海辺の街がある。50年代、ロスアンジェルスの海辺にあるヴェニス・ビーチだ。(しかし、この街については日本ではあまり知られていなかったと思う)海野弘の『ビーチと肉体』(グリーンアロー出版社)で、その街のビートたちの生態を活写した本の翻訳が1960年に日本の荒地出版社で出されていることを知り、前から読みたいと思っていた。『聖なる野蛮人』( ローレンス・リプトン著 山屋三郎、田辺五十鈴訳)という本で、つい最近手に入ったのである。


「ここはあのサン・マルコ広場やゴンドラで有名なイタリアのベニスではない。カリフォルニア州ロサンゼルスの大平洋岸にそった貧民の町ベニス、そこがこの物語の舞台である。
 かつて今世紀のはじめころ、ケニイという十九世紀風の夢想家が、この地に運河を掘り、娯楽用の波止場を築き、壮大なホテルを建てつらねて東方のベニスをここに再現しようとこころみた。だが、その夢もすでに遠い昔の語り草となって、かつては美わしかった運河も油井の油に汚されてしまい、波止場は跡形もなく消え失せた。
(中略)
すでにつかいものにならない商店は、ショーウィンドウにカーテンをはったり、ペンキでガラスを塗りつぶしたりしてスタジオと化している。酒屋や安食堂の屋根裏部屋は、ビート族のおあつらえ向きの『集合場』(パッド)となって、夜っぴてハイファイ電蓄を全開しつづけようと誰も文句を言う者はない」


こうしてヒップスターたち(この本ではビート族のさむらいと訳されている。これはいいですね。ビート侍!)がヴェニス・ビーチに集まる。海辺で結婚式をあげる者、その後のパーティ。50年代、黒人と結婚する白人は非常に少なく、結婚した者は「一種別世界のサークルへ入ってゆくことができる」と記述される。ビートですから、やはりクスリとジャズ。その話も非常に多い。


ビートニクが住む家の本棚が描写される。そこから著者名を書き出してみよう(表記はこの本に準ずる)。シグムント・フロイト、カール・ユンク、エルンスト・カッシラー、スーザン・K・ランガー、モード・ボドキン、エリー・フォール、コンラッド・フォン・ランゲ、アンドリュウ・ラング、フランツ・ボアス、メルヴィル・ヘルスコヴィッツ、マーガレット・ミード、ブロニスロー・マリノウスキー、H・H・マレットなどなど。
文化人類学の研究者の本がとても多いのですね。ビートたちのこころ、キリスト教社会、アメリカ社会から抜け出す「出口」を探そうという気持ちが強く現れている本棚だ。



その「出口」を探す激しさは、この本にもところどころに噴出する。アレン・ギンズバーグのリーディングのかなり激しい描写。
そこで気になるのは、この激しさだ。激しく愚かになることによって、「出口」を現出させ、悟りや自由を得ようとするところ。単純なことだが、そうとう周りに迷惑をかけたのではないかと、私なんかは思うのだ。また精神にとっての一番身近な他者、肉体にもそうとうダメージを与えてしまっただろう。


こういう考え方。「激しい自己超越(のような自己表現)は、体を含めまわりに迷惑」という考え方はとても平凡な考え方だ。中年になった人間が若者にいう定型のものの見方である。だが、そうなのか? ビートも含め20世紀の若者表現、ビート侍含め20世紀の無頼の表現を乗り越えようとしたときに出てくる今の言葉なのではないだろうか。ポイントは「まわり」だと思う。
実は、前述したゲーリー・スナイダーの「生息地」という言葉とそれは直接結びつく。「命あるものは何であれ、生息地が必要だ。それは成長するための文化の温もりと湿り気をもったもの」という「生息地」。


ゲーリー・スナイダーはビートが集うノースビーチを「生息地」としてとらえ、なぜそうだったのかというと、「非アングロ系の街であった」ということ、アメリカではめずらしく「歩く」ことを楽しめる場所であったことをあげる。つまりアメリカの中心的なあり方から身を離せる「場所」だったから、自分たちのような者が「生息できる土地」だったことを語る。と同時に他の者たち、自分に連なる先住民のコスタノ族、貧乏なアイルランド人、埠頭に舞い降りる白鷺も生息していることを語る。文化ムーブメントが起きた時に、そこで起こったことだけに集中せず、もう少し広がりをもった場所として考えること。どうして自分たちが楽しくいられる「生息地」なのかを考え、そこには自分と連なる者たちも当然のようにいることを考えること。


ミステリー作家クレイグ・ライスの元夫であり、実はアル中だった彼女の作品の大半を書いていたといわれる、それだけでもなかなか興味ある詩人のローレンス・リプトンの『聖なる野蛮人』は、実はヴェニス・ビーチの「場所」についてあまり触れていない。仲間たちの生活描写とその表現について多くを費やしている本だ。


一方が「場所」を意義深く語り、もう一方がそうしないのは、二人の詩人の資質の差だけではないだろう。リプトンは1959年、スナイダーのテクストは1975年に書かれた。この時間の間に私たちは、「場所」というものがとても大切なことなのだということを知ったはずだ(この時間の間、「宇宙飛行」によって地球という「場所」を経験し、「公害」によって「場所」が荒らされていくとはどういうことなのかを知ったのである)。そしてスナイダーのこうした考え方が、じっくりと理解されるようになったのは、ほんとうに最近のことだ。


ヴェニス・ビーチのような場所の動き。一度は賑わった店やかつて会社が派手に使っていた場所、それを改造して自分たちが楽しめる場所として使うこと。これからこの葉山や秋谷でもたくさん起こることだろう。また他の街でも様々なムーブメントがすでに出来ているだろう。そういったことに関わっている人たち、これから関わろうとする人たち、そういった人たちに「生息地」という考えをもっているゲーリー・スナイダーのテクストを読んでもらいたい。


実は、ずいぶん前になるがゲーリー・スナイダー山尾三省、ナナオ・サカキなどの本を扱っていた本屋の主人と同じアパートに住んでいた時期もあり、近いところにそうした本はあったのだが、自分との接点をもつことができずにきてしまっていた。また都市型本読みは、ビートが好きな人がけっこういるものだが、これも読もうとは思わなかった。だが、ここ数年「海の家」のことを考えているうちにビートの拠点が海辺の街であることがわかってきたのである。『聖なる野蛮人』を読み、その後、現在のゲーリー・スナイダーを読むと、今、リノベーション系の人たちには、ゲーリー・スナイダーのテクストはとても「よいヒントを与える」のではないかと思ったのだ。


スナイダーを読む前は、この『聖なる野蛮人』のようなめちゃくちゃをやっているビートの連中のことが書かれている本を読むといいかもしれない、「やんちゃな行為→その後の倫理観」それを知ることが大切だから。でも、この「時間差」はもう古くさい行為だ。



なんでこんなことを考えているかというと、次のようなたわいないことがあったからだ。実は、だめ連がやっている早稲田の飲み屋「あかね」に久しぶりにいってきた。途中から、あるシンガーのライブになってしまったのだが、バレンタイン前ということもあり、「俺はもてないぜ〜」という歌を実に激しく歌う歌手なのであった。「チョコなんてもらえないんだよ〜俺は〜」と歌うとあかねにいるお客(可愛い奴も娘もいるし、そうじゃない奴も娘もいる)がわ〜と盛上がるのだった。その日はじっくり話したい人たちと来ていたので、あかねからは抜け出てしまったのだが、「脱力」の代表、だめ連系もけっこう一瞬激しいなと思ったのだった(と同時にこんな歌を聞いている私も大問題と思ったのだけど)。ほんとに一瞬だったけれど、それは若者らしい激しさがあった。


でも古本カフェでまったりしている子も、リノベーションしたレストランでおすまししている子も、やっぱり激しいよね。若者の行動は大小あるけれど、やっぱり激しい。その激しさは常に順番としてあって、愚かな人以外は、その激しさの後の時間の中である種の倫理観をもつと思うんだ。そしてやっぱり、その当事者時代はまわりの人に迷惑をかけるのだろう。


しかしリノベーションしたカフェの時代、ニュースタイル海の家の時代は、若者たちにはわるいけれど、その「時間差」は許されないのだと思う。どうしてかというと、リノベーションしたカフェやニュースタイル海の家を作るということは、ロケーションに深く関わることだから。「生息地」に触れる行為だからだ。

スナイダー爺さんは「やんちゃな行為→その後の倫理観」でよかったけれど、今現在の子たちは違うべきだし、そういったスペースを愛するお客さんも(自分も含めて)もう違うべきだ。「やんちゃな行為」と「倫理」は同時に立ち上がるべきだ。「生息地」という「場所」の見方を通じて。

私はこんなことを考えながら、秋谷の星空の下の夜道を歩いていたんだよ。