カチーナ人形と微かな文化配置変換について

土曜日、神奈川県県立近代美術館葉山館に行って「アンテスとカチーナ人形」展を見てきた。開催日1日前のぎりぎりで、時間をつくって見てきた形になってしまった。ホピ族のカチーナ人形の存在には魅了されたのだが、ここではこの展覧会で行なわれたイベントについて、少し語っておきたい。


私は行けなかったのだが、この葉山の土地に住むインディアンフルートの真砂秀朗さんのライヴや、葉山芸術祭などでネイティヴアメリカンドリームキャッチャー作りのワークショップをやってきた浅葉和子さんのカチーナ人形作りのワークショップが展覧会の付随企画として行なわれたのである。


美術館が美術作品や展示物を見せていく。それを、美術館が建つコミュニティに属する人々が見る、あるいはそのコミュニティに訪れて遠来の人々が美術館の作品を楽しむ。


そこには、美術館側が美術作品や展示物に関する情報を集中させ、その作品の文化的位置づけを主体的に行なうということが前提にある。しかし今回は、情報はコミュニティの側にあった。また、ネィテイブアメリカンという近代にとっては多大なコンプレックスをもってしまう存在であるがゆえに、近代美術館はその文化的位置づけを譲歩したということもあっただろう。


いつもの美術館の前提の配置換えが行なわれたことによって起こった真砂秀朗さんのライヴや、浅葉和子さんのワークショップ、そして北山耕平さんの講演会だったのだと想像する。

微細なことだけど、この事態はとても興味深い。


コミュニティの人的資源による、ミュージアムにおける文化ヘゲモニーの配置変換。これはとても興味あるミクロの変化だ。今回の展覧会やそのイベントに関わった方で、このあたりの詳細をレポートしてくれる人がいないかな。う〜ん。

今度、真砂さんに会ったら話でも聞こうかしら。

前にコメント欄でも書いたのだが、前に海の家ブルームーンで真砂さんから、11月に出るソロアルバム『Wind Hunter』のサンプルCDをいただいた。ずっと家で聴き続けている。今回のアルバム、多くの人の心を動かすのではないだろうか。インディアンフルート奏者である真砂さんの第2ステージが始まる印象だ。