映画館の笑い声

このblogでも時々触れる映画批評家、今村太平。
私は、音楽の展開やアニメーションの登場人物たちの奔放な動きを
的確に描写する彼の文章が好きなのだ。


夜、ソファーで寝転んで本を読んでいたら、「今村太平君に」と献詞のついた詩をみつけた。詩人の北川冬彦が書いた詩だ。書き写しておこう。

むすこといぬ
   −今村太平君に−




きらびやかで大きな劇場の
スクリーンの上で
怪漢が
主人思いの猟犬を
しばりあげてひっぱたいた
見てた
三才のわたしの長男が「ばか!」となき声をあげた
(うちの飼いいぬとでも思ったのだろう 似てたから)
とたんに
つれこんでただれかのいぬが
「ワワン!」と鳴き声をあげた
観客はいっせいにわらいだし
わらい声は
しばしやまなかった
このむすこは
いまではランドセルを背負い小学二年生だ
「おとうさん 映画はニュースと漫画がおもしろいね」
なぞとなまいきな口をきいている



今村太平という名前が出ているからだろうか、
この劇場の観客の笑い声は、
労働者がいっぱい詰め込まれた首都の映画館の闇に響く笑い声として、
聞こえる。


私の最初の映画の記憶は、ソ連の記録映画、ガガーリンの『地球は青かった』。
銀座の映画館、父に連れられ上映中の闇の空間に入った瞬間、
自分は断崖絶壁にいて、右の眼下に斜めになってソ連の宇宙飛行士が映るスクリーンがあった。


急な傾斜のある映画館の高所にあるドアから私たち父子は入り、スクリーンを上から壁を背中にして見たということになる。


宇宙の果ての断崖で、宇宙飛行士を見下ろした、私のスペース・オデッセイ。


その時、手を握っていてくれた父はもういないんだな
とソファーに座り直し、少し孤独になった。


外は満月。
楽しいことを考えよう。


最近の映画館は上映途中から入れてくれないけれど
途中から入ることによって、おもしろい体験をいろいろした。
闇の中のわけのわからない空間
(自分は、「放り込まれてしまった」という後悔と官能)
シルエットになっている群衆の姿、
(それはベルリンやニューヨークを思わせて)
そして何をいっているのかわからない登場人物たちの言葉と混乱した仕草。


映画館の闇の中で観客の笑い声につつまれていると
その都市の底に触れたような気持になることがある。
今回、いくつかの仕事で神戸を短い期間に数度訪ねた。
時間がなくて遊ぶ余裕はなかったのだけれど、映画館に行けばよかった。
神戸の人に会って話を聞き、強く感じたのは、
この都市の背景にある、戦前に救貧運動をしたキリスト者賀川豊彦や先鋭的な生協運動や消費者運動を担った人々、そして社会主義活動家の姿だった。
都市の自律性やNPOがテーマの取材だったこともあり、都市の記憶が浮かびあがったのだろうけれど、少し驚いた。
神戸の映画館での笑い声を聞きたかった。
闇の中、「ばか!」という少年の声、「ワワン!」と犬の鳴き声
いっせいに笑い出す労働者の笑い声。