2005はこうして過ぎていった

築地で今年の暮れも働かせてもらった。栗きんとんに丹波の黒豆などを扱っている店。晴海通りの拡張で店は小さくなり、一緒に働く若者たちも今年はいない。晴海寄りのあたりにオフィスビルもできて、人の流れも少し変わってきている。
相変わらず、「おいしい寿司屋はどこか?」と聞いてくる人が多い。最近、その質問をするような人の中に新しい流れが出てきているようだ。
土曜日の夜明け前、キャバクラのお姐さんを連れた男が築地の寿司屋にやってくる、その流れが出てきているのだと。


そういえば今年のクリスマスイブは粉雪舞う仙台にいたのだが、繁華街に多分キャバクラ関連だろう女性を連れて歩く男たちが目立った。私が幼かった頃は、クリスマスになるとトルコ帽を被った酔っぱらいたちがキャバレーから出てくるような都市の風景もあったが、大人になってからは、水商売とクリスマスが結びつくような景色を見たことがなかったので少し驚いた。


東京の蠣殻町であった某事務所の忘年会で、金を動かしている躁状態の男を久しぶりに見た。彼を見て、ある触覚をもった男たちが動き出してきたんだなと思った。夜明け前の築地の女連れの男たちがどのような者なのか、金曜の夜、土曜の朝の本願寺前で見てみたい。


クリスマスイブの仙台はある人物への取材。夕方からオフになってホテルに入ったら、「せんだいメディアテーク」近くであることがわかった。
部屋で少し休んで、歩いてメディアテークに出かけてみる。歩く夜のケヤキの通りは電飾で美しい。メディアテークのステージではウッドベースの男性ミュージシャンとマイクをもった男性詩人がポエトリーリーディングをしていた。
ラジオでも同時に放送をしているらしい。


ポエトリーリーディングというものを初めて見た。
その若い詩人は、水を浸していない絵筆のような柔らかい声で詩を読んでいた。


目を瞑る。
伊東豊雄のデザインしたせんだいメディアテークのことを建設する前から知っていた人は
できあがったその建物が「繊細さ透明さ」をもったものではないことに戸惑ったはずだ。
伊東が作った完成予想図はもっと繊細で透明なものであったことを
この若い詩人のポエトリーリーディングを聞きながら思い出したのである。


柔らかい靴底をもった靴で、静かな図書館の中を歩いていくような詩。
詩をこんなに柔らかくソフトに読む若い詩人に対して
私は楽しく反応できなかったけれど、
このような声の質感が選ばれている必然性はよくわかっている。
伊東の建築の質感は、このようなポエトリーリーディングの声の質に呼応できるもののはずであった。


次の日の朝、ホテルでチェックアウトをしてメディアテークにもう一度出かけてみる。
図書館の中を歩いてみる。他の階の施設を見る。そこで働く人たちに、ある種の「繊細さ透明さ」があることが面白い。どういうことなのだろう? せんだいメディアテークの運営のあり方をもっと見てみたい。
メディテークが作られる構想の中には、情報流通におけるさまざまなバリアを越えていく機能をもつ施設にするということがあった。メディアテークの透明さや繊細さは、情報流通というステージでのバリアフリーという考え方と深く関わっていたはずなのだ。


仙台から戻り、築地で働き、私は近所の建築家と一緒に三島に遊び、そして興津にある湯治施設「駿河健康ランド」に行ったのだった。ここの風呂を堪能してしまった。逗子や葉山に住んでいる人であればそんなに遠くないところにあるこの施設、お勧めです。


それからまた築地で働き、ひさしぶりに秋谷の家に戻ると、雑誌『CITY&LIFE』(第一住宅建設協会)が届いていた。この78号では都市計画の概念「コンパクトシティ」を特集しているのだけれど、私はここで青森、仙台、神戸で行なわれているコンパクトシティのあり方についてのルポを行なっているのだ。タイトルは「日本型コンパクトシティの現場を訪ねる」。それを部屋で読む。2005年はこうして終わる。みなさまもよい年を!