朝の光の中で「公共空間としての海辺」についてのメモ

正月の頭からずっと原稿を書いていた(半分行き詰まっていたのだが…)。やっと、ちょっと一区切りできた。


しかし、本当に寒い冬ですね。
この海が一望できる家は風情があるが、風が無情に入る家、隙間だらけの家なのだ。
毎冬は、温室用のビニールで外側から家をまく、つまり「ビニ本」ならぬ「ビニ家」状態にするのだが、今年は油断をしてしなかった。それがいけなかった。室内なのに吐く息は白い!


こんな家にいる私の最大の楽しみは、晴れた日の朝9時から11時くらい、仕事部屋にフトンを運んで敷き、その上で日向ぼっこをすること。
海側の部屋は、その時間、太陽がさんさんと降り注いで、温室みたいなのである。
そこで横になって無為な時間を過ごすのだ(会社員にならなくてほんとにヨカッタ)。原稿はどうしようなんていう不安の気持を忘れるため、本を読む。ひたすら本を読む。こういう時に読むのは稲垣足穂の『弥勒』なんていいのだな。


「日中でも手足は凍てついたように固くなっている。自分の上には今後、おそらく最後まで、火鉢、夜具布団は与えられないであろうとの覚悟は出来ていた。ある姿勢を採ると、寒さのため身動きすることも出来ない。やはりこれと同様な格好のままに、たぶん春雷が轟くまで土中にじっとしているのであろう虫どもに思い到ると、彼は吹き出さずにはいられない」
「断食も三日目になると、一時間が二、三十分くらいにしか感じられない。そこで五時間単位に待つことになると、いったん明るくなると正午はすぐであり、お昼の木魚の音が響いてくると、あとは一単位で日が落ち、さらに一単位半を待つと、夜半の梵鐘が鳴ってすでに翌日であり、その正午はやがてやってくる。こんな日常では、頭の中には物理学上のいろんな原理や、化学物の割合や、それや機械学における簡単で、まだ人々が気づいていないようなアイデアが次々と湧いてくるのだった」


「この冬の楽しみは太陽!」と思っている現在の私には、無一文になって天体と向き合ってしまった足穂の書く言葉がしみじみと共感できるのであった。

さて、冬の太陽の光を浴びながら、私もなんか考えてみよう。これはその時に考えたことのメモ。


memo02
公共空間というのは、その空間を作る以前の環境がもっている意味を人々が受けとめて、その意味を空間の占有や、商取引の回路にもっていくことを回避して、多くの人が共有できるミッション(社会的な使命)の可能性として受けとめ、ミッション実現の方向へと表現して作った空間なのではないだろうか。


街に人々の流れがいくつも合わさっていくような空間があるとする。合流するという環境が差し出す意味を、街の人々というものは案外孤独なので、それを打開するために人々を出会い交流できる場所を作るというミッション実現の可能性として受けとめ、ミッションを実現するためにその場所に人が座り、もしかしたら話合いもできるベンチを作ってみたとする。そこにできた空間が公共空間だ。


私は海の家に注目したのはさまざまな興味があったからだけれど、ひとつは1990年代以降の日本の海辺が公共空間としての可能性をもちはじめたからなんだと考えている。


先に書いた自分の家もそうだけど、浜辺の特徴は海という大きな自然が目の前にあるという場所だということだ。波が押し寄せ、潮風が吹く、そういった海から陸地への動きは太古から変わらないものだろうし、21世紀の私たちもその働きかけを受けとめ、その意味を意識的/無意識的に解釈し、浜辺ならではの行動を行なっている。


環境からの意味解釈、それから選択される行動の基本は変わっていないけれども、随分変化したこともある。


都市での生活をずっと続けていた私が90年代の葉山の浜辺に行って驚いたのは、浜辺にいる人々の行動のあり方だった。私の少年時代、高度成長期の日本で海水浴をしていた人々の行動との大きな違いがそこにあった。90年代以降の海辺で、高度成長期の海辺にいる人々に比べて様々な変化が見いだされたのである。海辺という環境がもっている意味が違っていたし、その対処の仕方が変化していた。



高度成長の時代、そして現在、行なわれている人間の行為によって、海も随分変化し、人間に差し出されている意味が微妙に変化していた。大気や海水に混じっている物質の変化によって、海の色やそこに散乱する光は変化し、海に接する土地に立つ建築物によって、風や波は変化していた。高度成長期の方がもっと酷かった海水浴場のゴミは、消費社会の発展によって、ゴミというよりは商品そのものが海水にいくつも浮かんでいる風景を作り上げた。
もっと大きいのは、その変化を、海という自然環境に対して破壊行為をしてしまった後の人間たちの、海や海辺への読み取りの仕方の変化によって、経済成長の時代とはかなり違った形で解釈していたことだった。
海に散乱する光や海水の色、そして波や風は、ひとつひとつは楽しめるものではあるけれど、総体としては、「力を失ってしまった海」として解釈されていた。あるいはかつての労働者の群衆たちが集う海水浴場の海は、風呂屋の書き割りのようだったが、今、かつての労働者とも消費者とも違った存在になっていたバブル崩壊以降の日本人にとって、そこは「時間を無為に過ごすことのできる空間」となっているようだった。


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「力を失ってしまった海」や「時間を無為に過ごすことのできる空間」という解釈は、海辺にいる人々の行為を変えていったし、意味を受けとめても変わらない行為を続けている人々もいる。ニュースタイル海の家をめぐる人々は、現在の海から差し出された意味によって、海辺の行為を変えていった人だった。


「力を失ってしまった海」や「時間を無為に過ごすことのできる空間」という解釈は、多くの人によって共有され、それをテーマに対話されることによって、「かけがえのない自然環境を楽しむ」というミッションを作り出していく可能性がある。その可能性について、昨年の夏に原稿を書いたのだった。ここでは、その手前について考えておこう。


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自然と隣接する空間であること。
そこで時間を無為に過ごすこと。
この2つのことは、高度成長以降の社会の公共空間にとって、大きな意味をもっているはず。


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都市空間へ目を転じてみよう。
『私のだいじな場所ー公共施設の市民運営を考える』(恊働→参加のまちづくり市民研究会編)というパンフレットがある。気になるパンフレットだ。
「がくどう」運営、子ども図書館の自主的運営といったことが載っている。


インスピレーション●子どもの時間と隣接する公共空間。●本を読むということは学習なんかではなく、時間を無為に過ごすこと、それができる図書館という公共空間。■市民参加、市民参画の回路からではない公共性への道。


memo10
川縁にいるホームレス、図書館にいるホームレス。
明日また晴れたら、午前中、太陽の光を浴びながらメモしておこう。