CODANの撮影

昨日は、東雲キャナルコートCODANの撮影で、1街区から6街区の内部に入れてもらったのだった。山本理顕の、とにかく家族を開いたものにしようという、意志が表現された1街区。公団の鉄の扉をとりあえずの敵として考えたのでしょう、ガラス戸にしてしまった玄関。きれいにディスプレイされたものから乱雑に靴が脱ぎすてられたところ、カーテンでしっかりと閉めているところなど、中廊下を歩いていくと、ガラス扉の向こうの生活の断片が続けて見えていく。新しい空間の経験ですね。2街区の中廊下は、伊東豊雄らしい都市の切なさ淡さが出ている色彩と光量でまとめられた空間で、そして3街区の隈研吾の外廊下は……と書こうと思ったら、今、知人から電話があって、「成田で買った豆があるから、これから君のところで豆まきをしてやるよ」という。なので、blog書きは中止。


今日は節分。今夜、東雲キャナルコートCODANの住民の皆様はどんな豆まきをするのでしょう? 2街区の中廊下、あの淡い伊東豊雄空間を、逃げて行く鬼の光景を想像すると、俺、「泣いた赤おに」以上に泣ける、切なくて泣ける。……いや、真面目にこの共同住宅についての原稿を書かなくては、いやいや、その前に今年の幸福を願って、豆まきですね、この海が見える家も。