雑事を語り合い、ほうろうへ

昨日は夕方、東京某所の喫茶店で、南陀楼綾繁こと河上氏と、ある企画の打ち合わせ。やらなければいけない雑事を二人で確認。まだGOサイン出ていないのだが、装幀について二人で勝手にアイデア出し。河上氏、目がキラキラ。 やらなけれればいけない雑事をしばし忘れて、私も目がキラキラ。本づくり3K労働のつかのまの幸福、二人で味わう。
私のある雑誌連載プロジェクトについて河上氏に相談。一方的に私、目がキラキラ、うっふん❸ つらい現実に戻って目が トロンとなったところで、しばし解散。


7時半より、河上氏に誘われ、千駄木古書店「ほうろう」でのAZUMIというシンガーのライヴ。
奥に本棚が取り囲むステージ空間。ほうろう、いいスペースになったな。
ライブ+ツアーをドキュメントした映画+ライブの構成。


その映画、パリでのライブ活動を撮影した映像の中にネズミ発見! パリの石畳、路上の男にもらったパンを齧っているネズミ。忘れていた「下駄を履いたネズミ」を思い出してしまった(1月30日、日記参照)。
ちょっと疲れたミュージシャンたちに見つめられパンを齧っているネズミ。
パリというのは不思議なところだ。パンをあげた男は、ネズミがパンを齧る光景を、大道芸ではないが、なんとなくみんなに見せているのだ。そこから発する微かな物語を見せようとしている仕草が確かにある。都市の詩情が散歩者の側の内面にある東京とは違って、パリは見られる者が視線を意識しつつ詩情を紡ぐ街なのかな。
そして、ネズミの方も街の最下層の生き物を代表するかのように、震えてパンを齧り、よろよろと歩いていってしまう。貧乏人が出てくる夥しい数の小説、映画の記憶を蘇らせるように歩くネズミ。


平井玄の『ミッキーマウスのプレタリア宣言』ではないけれど、ネズミの動作と、ある階級の人々の仕草の結びつきとか、その結びつきを踏まえた演劇的所作とかしっかりあって、ミッキーマウスの初期の動作は、それと深く結びついているのかもしれないな。う〜む、いろいろと考えてしまった。


AZUMIのライブ。フォークブルースというのかな、本屋の床に座ってずっと聞いていたかったけれど、帰らなければいけない家は遠いので、途中で席を離れたのだった。