宮城まり子をアルトマンの映画のように読んでいく

その方から『マスコミ文化』1975年5月号を借りた。
そこに載っていた1974年の上半期の週刊誌の発行部数。
女性自身 67万部 週刊ポスト 66万部  週刊新潮65万部  週刊現代64万部 平凡パンチ63万部
主な週刊誌編集長の座談会が載っていた。


この号にとても印象に残る記事を発見した。和田矩衛という放送批評家が書いた「小さな局の大きな事業」という記事。1975年3月21日の午前0時から22日の午前1時まで、25時間通しで行なわれた「まり子のチャリティ・テレソン」という近畿放送の番組についてのレポートである。


この番組は宮城まり子が25時間一人で司会を行なうチャリティ番組で、そこで集まったお金を当時京都で進行中の身障者のリハビリティ・センターの建設資金にあてるというもの。
日本テレビの24時間番組「愛は地球を救う」が1978年のスタートだから、それより先に行なわれたものだ。アメリカの大物タレントが行なうテレビの長時間チャリティショーを日本で真似た最初のものなんだろう。
このレポート、チャリティ番組の司会者である宮城まり子の活動をたんたんと追っていくB5版4ページものの記事なのだが、自分にとって非常に意味のあるテクストだった。



「11時49分。京都会館中庭にまり子到着。身障者とその家族が集まっている。身障者の人々はもう何年もリハビリセンターを待ち焦がれていることを語る。桂米朝が来てまり子と対話。雨パラつきだし、まり子、身障者の人たちを早く屋内に移せと要望局側戸惑い、まり子さらに要求。早々に切りあげる」


「16時20分。京都会館別館ホールのチャリティ・オークション。不当なほどの安値をつけ、それで落札する会場の空気にまり子はガマンができなくなって、シェール大統領のレコード(当時の西ドイツの大統領がチャリティのために作った独唱レコード−−−引用者註)その他の実証をあげ、安く買うのがチャリティ・オークションではない、売るのが目的ではなく、チャリティが目的ではないですかと会場に問いかけ、会場に動揺の色が走る。私に売らせて下さいとまり子主導、この品の希望売値をきいてから売り始める」


「21時。座談会『勇気ある人生』アメリカを車椅子で女一人旅をした村松美代子、車椅子と仲間の会の長橋栄一、伊吹功一郎、愛輪クラブ副会長西口増弘、盲目の女性北村和子、聾唖者小山貞夫、『車椅子の青春』の編集者山田富也、ジス学級教諭岩岡達夫。まり子は一人々々これらの人々を紹介、各自が自分の生き方を語る。そこに前尾繁三郎衆議院議長が来場。山田は『ここにいる議員さんに、テレビをみているみなさんは冷たい眼を向けて下さい。何十年前から、議員は身障者に何もしないで過ごしてきているのです』。議会の古強者前尾議長の顔が引きつったまま一言も発せられない。まり子は漸く気を取り直して、ここに来られた方はよい。来られない方の方が問題なのですととりなし、「車椅子の青春」のなかからの詩と散文の数篇を朗読した」


どうして、この文章が私にとって素晴らしいものなんだろう?
それは、新約聖書のように登場人物の行動と言動がシンプルに書き写されており
ロバート・アルトマンの群衆映画のような視線で想像しながら読めるように構成されているからだ。
一人の人間の行動をシンプルに描写すること
人間の深い部分へと入り込んでいくその行動の力を伝えていくこと。
それを群衆劇として展開するようにすること。
文章の勉強として頭に入れておこう。