店員へと歩き出す

シュヴァンクマイエル展。ラフォーレでの展覧会では、売店の店員として何度か働く形になってきた。スケジュール的には厳しいのだけれど、まあ……、何日か店番をするはず。
図録編集をした人間ではなく展覧会場の店員として考える。神奈川県立近代美術館葉山館とはずいぶん違った形の展覧会になればいいな。いや、ぜんぜん違った展開をして欲しい。美術評論家松井みどりさんが『マイクロポップの時代:夏への扉』( PARCO出版)の中でいっている90年代から活躍しだした日本の若い美術家たちのある動向、たとえばドローイングの激しさ、子供や未成年の想像力を生かした表現。それに似た断片が原宿には見え隠れしており、自分でも理解不能な表現への力を抱えた人たちが、葉山よりはラフォーレに多く集まるのだと思う。シュヴァンクマイエルらが行なってきたシュルレアリスムを起源とする自動筆記と、マイクロポップの切ないドローイングは惹かれあうように連結するだろうから、ラフォーレ前の子たちもそのドローイングの線を辿ってやってくればいい。シュヴァンクマイエルらの強い触覚的な欲望と、マイクロポップに散見する生殖とは完全に外れてしまっているペニスは容易に回路をもつだろうから、デートの流れの中に展覧会を入れて後でどちらかの部屋にいけばいいのに。そうだ、今日はエスクァイアの人たちと売店の打ち合わせをラフォーレでするんだった。


25日から始まる展覧会までの時間にいくつかの原稿を書いていく。ある雑誌のために、仮説社、アノニマ・スタジオ、エーディーエー・エディタ・トーキョー、以上3つの出版社へのインタビューの原稿書き、本日終わった。それぞれ、なかなか強い個性をもった会社であった。読書好きであれば、楽しく読める記事になると思う。お楽しみに。


レコードショップに入ったら、店員がバンジョーを弾いていた。ロバート・クラムが編集した『ルーツ・オブ・グレートフルデッド』というアルバムを発見。クラムが描いたジャケットの絵をじっとみつつ、振り向き様、店員の動向を目でキャッチ。店員になるための勉強である。カフェでも変なウェイトレスの子の動きを見る。何事も勉強。小文字ポップの勉強である。