お勧めしたいもの


中年男の体にユーミンが憑依する。そのコンセプトで唄い出したという噂の、細馬宏通氏(『浅草十二階塔の眺めと〈近代〉のまなざし』を青土社から出したあの方)。彼のバンド、「かえる目」がアルバム「主観」(compare notes(map))を発表した。まだ、このアルバム手に入れていないのだけど、細馬氏の唄は聞いたことがある。けっこう衝撃的であった。ニューミュージック30数年の栄枯を視聴体験した果ての中年男の体にユーミンが降りてくる。なんかしみじみとわかる怪奇現象である。アルバム発売を記念して、今日本中の中年男にぽつぽつとこの憑依が同時多発的に起きているという。私も、先日新橋駅前の三州屋二階座敷で「あのD51に帰りたい」という歌を完全ユーミン音階で突如唄いだしたサラリーマンを見かけた。一緒に飲んでいた松山巌氏も右文書院の青柳氏も見たと思うが、どうだろう。アルバム早く手に入れたい。


夜の新宿をデザイナーの大久保氏と歩いていたら、酒場から森山大道さんが何人かの連れと出てきた。その中には外国人もいて、「彼はきっと優れたカメラマンであろう」と大久保氏がいった。それからしばらくして、本屋でファッション誌の「Huge」(講談社)の今月号を見ていたら、写真家アンデルス・ペーターセンの写真作品が載っていた。1960年代のハンブルグ。盛り場にいるどろどろに酔っぱらった男と女。そのダンス、喧嘩などを撮影した写真だ。トム・ウエイツの「RAIN DOGS」にも使われた写真を撮影したペーターセン。彼の顔写真も載っていて、見ると夜の新宿のあの人だった。「Huge」見るべし。


写真評論家の飯沢耕太郎氏が作るコラージュ作品に魅せられてしまった。10月に2つの個展があったのだが両方とも行ってしまった。見るたびに好きになる。芸術的感動というよりは、素敵なステーショナリーを見たりいじったりしている時の感動があり。コラージュが本来持っている運動感覚、ハサミや糊を取るために机の上で動かす手の運動の楽しさが飯沢氏のコラージュ作品にはあるのだろう。そして単純にきれいだ。痛感したのは、コラージュは実物を見るべきものだということ。切断面の質感、AとBが重なることによってできる厚みの魅力が印刷物では出せない。


最近読んでいる作家は阪田寛夫氏。名曲「さっちゃん」の作詞家であり、独自のキリスト教私小説を書く人である。どこがいいかというと、独自の自虐性。岩波の「図書」10月号で作家の岩阪恵子氏が阪田氏の遺稿のひとつを紹介している。
「オジサン(愛称)寒くないの、小便に起きてきた妻が声をかけた/ストーブこっちへ持ってくる? と言ってくれた/十月だけど−−−−/『寒かったら、このジンベさん着たら? 軽くてあったかいよ』/『ありがとう、おれの頭を叩いてくれるか』」
酷い鬱の頃のことだろうか。このあたりを経験した人はよくわかるだろう、妻の優しさが身に染みるこそ、自分が情けなく、自分を全否定して欲しいと突如いってしまう男の気持。しかし、この唐突や全否定ってちょっとはずすと笑えるのです。(その境地まで行くにはほんとに大変なんだけど、みんな、そこまで行きたいね)難しいけど、阪田氏の芸風はそれを行なえる。阪田氏の小説は、はずしをもっと突き進ませる。謙遜するとしすぎて、ほとんど自虐ギャグともいうべきところまで到達する。それがこの国のキリスト者という微妙な立ち位置と相まって独自の私小説世界をつくる。「自虐の詩」であり「さっちゃん」であり「聖書」である。希有な読書体験を経験できる作家。もっと多くの方に読んでいただきたい。


関西方面への仕事があり、情報集めのため恵文社一乗寺店のサイトを見ていた。
http://www.keibunsha-books.com/
期間限定のスペシャルコーナーがいくつかあり、その中に「住まいの本 小屋からコルビジュまで」コーナーがあって、わが『海の家スタディーズ』もラインナップされている。うれしいな〜、一乗寺のあの本屋だもんね。そういえば、最近久しぶりに建築学会図書館に通っている私です。


神楽坂に行けば寄るCD屋は「大洋レコード」。スペイン、中南米あたりの音楽が集まっている。マジョリカ島出身歌手のBuikaのアルバムを購入。一枚目の一曲目のタイトルは「New aflo spanish generation」。まさにその流れの音楽。ジャズとフラメンコとソウルミュージックブレンドされている。この音楽を聞きながらしたいなと思っている、ある中南米産の手芸があるんだ。このことについては、何かの機会に話そう。
(写真はちょうど1年前に行った能登半島七尾市奥原の舟小屋)