火曜日から金曜日までの思い出


火曜日夜、写真家の中里和人さんと会う。話をしたいことがあった。映画『十六歳の戦争」(松本俊夫監督)のDVD貸してくれる。下田逸郎主演。昨年、中里さんたちと車で新潟や能登、丹後をまわった時、車で下田逸郎の唄をずっとかけていたんだ。


水曜日昼、東京文化財ウィークの公開事業によるお茶の水ニコライ堂(東京復活大聖堂教会)見学会に参加(この日のことは、J.K's Bluesという、私にとってとても素晴らしいコンサートや、催しものの情報が書かれているブログで知ったのだ。ありがとうございます。
http://blog.livedoor.jp/jangada25/)。
ドームというとても立体的に宇宙を示す上部空間の下に、非常に平面的な描き方が特徴のイコンが何十枚も置かれている。そのイコンのほとんどは外界からの光ではなく、画像の前に置かれたローソクの光で照らされている。正面にはイコノスタス(聖障)という一種の書き割りがあり、何かのために空間を割っている。その聖なる場所の装置を見ているうちに、前に仕事で行ったイスタンブールで見たモスクの内部空間を思い出す。ビザンチン正教会の空間や装置を、イスラムの人々がどのように転用したのか少しだけだが理解した。素晴らしい空間を開いてくださった教会関係者の方々に感謝したい。写真は教会で発行しているパンフレット「東京復活大聖堂のイコン」の付録「東京復活大聖堂見取図」と教会内部の写真の絵葉書。
この見取図、天空から見た室内空間。イコンには番号がふられており、パンフレットを見れば、そのイコンが何を描いているかがわかる。何度も見ています。


木曜日は、十条にある東京家政大学博物館で開かれている「影と色彩の魅惑 ワヤン」展を見に行った。ジャワの影絵芝居の人形を中心に、インドネシアの芝居の人形がたくさん集められている。西洋の絵画では見ることができない、肉体のデフォルメの仕方。漫画の源流に触れている感じもする。
ここで知ったのだが、インドネシアの影絵芝居は、スクリーンに映し出された影絵を楽しむだけでなく、観客はその裏側からも見ているのだ。そのため影絵芝居の人形は、とても美しい色がついている。
観客は自由に歩いて影絵も見るし、色彩のついた人形芝居も見るのだ。ふ〜ん。
(もともとは人形芝居で、15世紀あたりから影絵芝居になったという説もあるとのこと)
この二重構造、興味深い。おいしいものを食べるとうれしくなるように、多様な上演の仕方に触れる度に幸福になる。
この人形は松本亮さんという方のコレクション。松本氏は雑誌『太陽』の元編集者とか。松本さんが書くテクストには、昭和20年代後半、ジャワの人形を松本さんに渡す詩人・金子光晴が登場したりする。
読んでいると、戦後すぐの東京の街を、風呂敷に包んだ影絵芝居の人形をもって歩く姿のイメージが広がる。流れている音楽は下田逸郎で。(と、書いたが、人形は金子光晴の家で渡したのが事実らしい。<数時間後テクスト一部訂正>ということで、このイメージは私の頭の中の一人歩きとなりました、トボトボ)
(展覧会は15日まで)


金曜日昼。青山ブックセンター本店で細馬宏通コーナーがアルバム「主観」発売を記念して作られたと聞いたので、行ってみた。時間があまりなかったので、どこにあるかと店員の方に聞く。なかなかわからず、結局は自分で探し出す。多分、唄に感動した書店員一名が発作的に作った棚なんだ。見るとそこは、近場で寄せ集めたような本、雑誌、CD……まさにブリコラージュ的ありさま。すべてがプロモーションのプランで作られている世の中で、このような「器用仕事」の様子見れることに、にんまり。かえる目の「主観」購入。
金曜日夜、仕事を終え家に戻り聴く。それから、今、深夜だけど何度も聞いた。
このアルバムの曲を、丹後から京都への帰り、琵琶湖沿いの道を、車で走りながら聞いている様子を想像する。昨年の舟小屋の取材の時の記憶を、ちょっと泣ける感じに改変してみる。労働者が仕事の思い出をユーミンの仕方で編集してみること。頭の中に夜の道路の風景を浮かび上がらせ、走る自動車を天空から見ようとする。