人間通/海岸ビルヂング


沖縄取材に同行した女性編集者はなかなか興味深い人だった。沖縄の夜、写真家やコーディネーターらとあのソーキそばがうまい、この泡盛はどうしたこうしたのといいながら酒をただただ飲んでいるその隙に飲み屋のママとカウンターで何やら話している。次の日聞くと、店のママが最近子供を産んだ話を聞いていたという。シングルマザー。出産数週間前まで働いており、ほんとうはぎりぎりまで働くはずだったが店の客たちに止められたという。その常連客の話がどこかおかしい。その子は自分の子ではないかとそれぞれ思っており、責任をもって店に通っている節がある(このあたりは私の妄想か)。そういえば、「篠ひろ子そっくりのママがいる」といってこの店に誘ってくれたコーディネーターも責任を感じている一人ではないか、などと冗談を移動の車でいってみんなで笑った。まったく篠ひろ子に似ていなかったが、沖縄の夜は楽しい夜だった。しかし、この編集者、私が家の主とインタビューをしていると部屋の隅でその奥さんと話しているということが数度あった。後で聞くと、実は最近病気になり、その家族がたいへんだったとかいった話を主婦から聞きだしている。「男は格好つけたがるから」と笑いながら、そんな話をする。
帰京して、まあなんとか原稿を書いて見せたら、テーマがどうとかは言わず「この結末はワタナベさんらしいから、いいか」とかいう。人間通なのだな。
それでこの仕事は9割終えた。


某日、某新聞社のための記事を2、3本速攻で書いて羽田空港へ。所用で神戸へ。
用事を済ませ三宮から海へ向って歩く。海岸通にある大正期あたりに建った建物。海岸ビルヂングへ。
関西の女性誌などにはよく出ている、その建物にあるカフェ「アリアンス・グラフィック」に行く。昼飯食べました。「フランス人に教えてもらったカレー」。
女子がいっぱい。昔は男たちの吹きさらしの路地の町だったらしいが、今はおしゃれな女子の世界。そういえば、東京渋谷の精神構造がおもしろい店「なぎ食堂」も女子がいっぱいだった。男は俺だけという店で一人で食事していることが多いな、この頃。
(渋谷駅近くのビルに妙なカフェを最近発見している。渋谷は実は今急速に変化している)
そして神戸の海岸ビルヂングである。やっぱりよいのだ。見学をしていたら、象設計集団の神戸アトリエから発展した「いるか設計集団」の事務所があった。


少し歩くと「戦没した船と海員の資料館」という建物。第二次世界大戦で徴用された商船で撃沈されたもの、そこで亡くなった人を記憶しておくための資料館。戦没した船のプレートが壁に貼られている。商船関連の資料の本。
とてもよい仕事だと思う。感動する。
それからこの資料館が作っているサイトも地味だけど、素晴らしい。
http://www.jsu.or.jp/siryo/
海域図が出ている。そこに船の名前が書いてある。クリックすると船の写真とどのようなことで沈没したのか、何人死亡したのかが書かれたテクスト。
クリックしていくと何かイメージが広がっていく。最近、亡くなった方の放置されたままのblogを読むことが多くなったせいか、blogが船のように思える。ネットの世界が海として見えてくる。今この一瞬のイメージは大きく自分を支配するだろう。
戦没した商船の記憶とインターネットには親和性があるようだ。発見。世界に平和を。


石山修武さんと中里和人さんの新刊(4月下旬予定)となる『セルフビルド』(交通新聞社)の色稿を、ちょっとした事情で見せてもらった。なかなかの原稿と写真だ。こういう纏め方になるのか。装幀は祖父江慎さん。製本される前なので実際の出来はわからないが、いたずら者・祖父江さんのアイデア通りの造りの本となったら、これは現代を支配する技術への痛烈なパロディーとなるはず。うまく実現することを願っている。


ある音楽事務所の社長と仕事をしている。文章を書いたり、あるプロジェクトを動かしていく仕事なのだが、その人が自分をミュージシャンのように扱ってくれていることに今日気付いた。


旅だ。移動している。もっと動こう。家にいる時もホテルにぽつんといる時も同じ気持だ。そろそろ道具を揃えていこうか。


写真は沖縄の街角、海岸ビルヂング、最近前をよく通るプラダ青山店のビル(表参道)。