beach hut tour 03

8月2日

関西国際空港で見送り。すぐにリムジンバスに乗って高松へ。約3時間のバスの旅だ。いかにも帰省するといった雰囲気の家族や人が多い。
長距離バスで高松に行く……村上春樹の『海辺のカフカ』を思い出す。あの小説で惹かれるところは上巻で、戦争中に起こった不可思議な事件が語られるところだ。山梨県の子供たちが集団で記憶を失う事件。とりわけその事件に関するアメリカ陸軍情報部の調査ファイルが興味深い。


前に、このブログでも書いたのだけど、アメリカ人が日本人を観察している、特に、先の大戦に関わる形で観察している、それがどこか「医学」に関わる形で観察しているという構図が、私にとっては刺激的なのだ。
その構図は、長崎と広島にアメリカが落とした原爆を想起させる。アメリカの日本への核爆弾の使用は、その後、日本がアメリカによって医学的に観察されるという関係性を強いた。A という国がBという国と戦争し、勝利することによってできあがった関係性は歴史的に様々だろうが、勝利したA国が負けたB国を医学的に観察していくという関係性になったのは唯一のことではないか。

原爆障害調査委員会という組織がある。1947年に作られた広島・長崎の原子爆弾被爆者における放射線の健康影響を調査する組織だ。被爆者を救わず、モルモットとして観察した研究組織として批判されていたりしたが、その実態は私にはわからない。ここでの調査研究がチェルノヴイリでは役立ったとも聞く。現在は日米両国政府が共同で運営管理する放射線影響研究所になっている。


この原爆障害調査委員会に来日したマリリン・モンローが訪問している。当時の夫、ジョー・ディマジオの知り合いが研究所にいたらしい。この事実も私を刺激する。
モンローの研究所訪問の思い出を語ったテクストも放射線研究所関連のネットに数年前にはあったのだが、今はもうないようだ。


海辺のカフカ』のテーマは、生き直すということだったと思う。私も生き直す必要があるんだ。


そんなことを考えていたらバスは、鳴門海峡を渡る橋を走っている。今夜の高松の宿泊所を探すためにコンピュータを開く。3時過ぎに高松駅に到着。観光案内所でホテルを紹介してもらう。目星をつけたホテルだったので、そこに決める。それから明日予定の笹尾海岸に行くルートを教えてもらう。庵治温泉という場所までバスに行き、そこからタクシーでいかなければならない場所だった。その庵治という港町、映画『世界の中心で、愛をさけぶ』のロケ地だという。観光協会のパンフレットによれば「純愛の聖地」だ。
ホテルに行く前に、讃岐うどんを食べようということで、ホテル近くの「味よし」へ。肉うどん、うまかった。
小さなビジネスホテル「パレス高松」にチェックイン。小さな部屋。小さな机で原稿書き。


夜になり、何か飲もうということで高松の町を散歩。ライオン通りの成田屋。よかった! 実に鶏などの肉がうまかった。


5月にINAXギャラリーの展覧会のパンフレットの原稿書きの仕事で九州に行った。鹿児島でたいへんおいしい鶏肉を食べたのだが、焼き方が似ていたな。
そういえば、9月に発行されるこのパンフレットの原稿を6本ほど書いているのだが、その1本で、私、あの人気邦画、「駅前旅館シリーズ」のような雰囲気を醸し出すことに成功。筆力というよりは、たまたまよい素材を拾えて、昭和40年代くらいの観光地の空気感を表現することに成功したのだ。短い原稿だから、ぜひ読んでいただきたい。

INAXギャラリーの展覧会のタイトルは、「デザイン満開 九州列車の旅」。INAXギャラリー名古屋で9月5日から始まる。

深夜、ホテルの部屋でテレビを付けると、クリント・イーストウッドが西部劇ショーの座長の役で口上を述べている。子どもたちに早く眠るように、それからママとパパの言う事を聞くようにといっている。ドリフターズのようだ。土曜のあの時間の暗がりをまた思い出して、眠る。


8月3日

朝早めに起きて、高松駅前からバスで終着駅・庵治温泉へ。私一人が降りて携帯でタクシーを呼ぶ。笹尾海水浴場、鎌野海水浴場などを見る。四国の海の家は非常に個性的で、二畳程の桟敷席がずっと横に繋がり全長100メート程にもなる。畔柳教授命名するところのロングハウスタイプである。海をステージとして芝居小屋の用に桟敷を配置しているものだ。
ここで私はゆっくり桟敷に坐り、波の舞踊をずっと見ていようと思ったのだ。日大理工学部海洋建築工学科の畔柳研室の学生が、サーヴェイをしていたので、写真やパースを見ていた。行きたかったのは鎌野の地元老人会が運営していた海の家だった。丸太で組んだ構造にブルーシートの屋根というシンプルなスタイル。でも間口は113メートルもある。平均年齢70歳の老人たち30人が2日で作りあげたものだという。
素敵ではないか。30人のお年寄りが建てた青いシートの海の家の桟敷で、日がな一日過ごしてみたかったのだ。
しかし、タクシーで降りたら、今年はなかった……。老人たちもいなかった。代わりに30人くらいの子どもたちが水着でラジオ体操をしていた。30人の老人たちは今夏は子どもになっていた。いい海岸だったが、やはり桟敷席を体験しようということで、引き返して笹尾海水浴場のロングハウスタイプ海の家の桟敷を借りることにした。1日3000円。一人で借りるのは高い感じがするが一家族で借りるなら、そんなに高いものではないだろう。
砂浜に立つ海の家の背後には道路が走っており、渡ると売店があり、そこで焼きそばやビールなどを売っている。ひどい炒め方の焼きそばを横目で見ながら、千円札3枚を渡すと、ゴザを貸してくれる。それをもって自分の枡席のような桟敷に案内され、そこにゴザが敷かれれば、そこが自分の桟敷となる。


四国の田舎の海辺、桟敷席でゆったりと、平和な家族とともに海でも見ながらゆっくりしようと思っていたら、想像していた風情とは違ったようだ。
まず右横にいるのは、茶髪にタトゥーのヤンママ、それに40代そこそこでおじいさんになってしまった家長、やはり茶髪。その子どもたちがボーイフレンドやガールフレンド、妻や夫を連れて集まってくるのだが、そのたむろしている様子は地方都市のコンビニ前の世界。家族ではあるのだけど、ストリートピープルの集まりという感じだ。


左隣は、それなりに年をとっているのだがかなり小さな娘の父親である男。昔のリーゼントで剃りが入っている。ビールを飲みながら、一緒にきたグループの中の女性に「子どもが生まれたら人生かわるよ」と盛んに言っている。聞かされている方はショートヘアーの昔の女子プロレス風。やはり肩や背中にイレズミあり。この二人、割に人生を語りたいタイプ。男、なにかしら人の道、説こうとするのだが、「パパ、この子のこと、もっとめんどう見て、遊んであげて」という妻の声で中断をせざるをえない。


こうした2ファミリーに挟まれている私といえば、一人だけで桟敷を占領している変わり者だ。ずっとぼんやり海を見て、暑くなったら海に入り、少し泳いで、ぷかりと浮かぶ。桟敷に戻ってビールを飲む。昼寝をする。少し本を読む。

午後2時になってゴザを売店に返却。タクシーを呼んで庵治温泉へ。そこからバスに乗って高松へ。大阪行きの切符を買う。山口の方の海岸へ行く計画もしていたが、電話で新しい仕事が入ったこともあり、戻ることにする。大阪の鶴橋で肉も食べたくなった。瀬戸内海を渡り、岡山で新幹線に乗って大阪に行く。
(写真は、上からロングスタイルハウス型海の家、それを少しひいて撮影、そして桟敷からの視界)