2008年歳末のメモ

築地で歳末恒例のおせち料理売りの仕事をしてきた。兄と一緒にした。兄は犬が歩いてくれば可愛い可愛いといい、イカアラレが美味しいと感じたら、一日に何度もイカアラレの話をしている明るい人なので楽しかった。そしてすご〜く愛情深いところが垣間みれる。おじさんだけど天使のような人だ。
幻視者、伊東忠太が設計した西本願寺のあの建物に見守られながら、バカ兄弟が一緒に楽し気に働いた数日だった。


築地歳末定点観測として報告をするなら、今年はここ数年の中でかなり人が来ている年ではないか。(これは築地全体というより、自分が見れるストリートに関してだけど)多分、ストリート全体として、不況にも左右されなく売り上げも悪くない年なのではないかと思う。
どうしてだろう? 経済的配慮から海外旅行を控えて家族で家で楽しむ傾向に……違う、私は人の顔や動きをしっかり見るのが大好きなのだが、その私の観測からいうと今年は群衆のジェネレーションががらりと変わった。
築地歳末ストリートでの私の興味の対象だった戦前の臭いのするお年寄りの姿が少なくなっている(その世代の方々の身体がそうとうしんどいものになったのだと思う)。その変わり若いカップルが多くなった(90年代中期から約10年の間に生じたカフェ文化、リノベーション文化の影響か)。
ジェネレーションの様変わりが、新たな動員力の要因となっているのでは。
そして群衆から醸し出されている雰囲気がほのぼのとしている。
新聞やテレビがいっている世相とはまったく印象が違うのだけど、これは観察者である自分の心持ちがそうだからか。いや、数日前、とても大切な友人が亡くなって葬儀に出て、その遺体を見てきた自分だ。こころは打ちひしがれている。そんな目にも肌にも感じられる、あるほのかな輝きがそこにはあった。
このほのかな明るさは何なのだろう。不況不況といわれて作られた世界認識のために、あたりまえの幸福が輝きとして見えるのか。いや、それも違う。生活困窮の底には計り知れない構造があるということか……。


今年は、家を失った友人の生活状況を打開するための一助として、約4ヶ月間の共同生活を行った。決して上手に生活が行われたわけではないが、経済的困窮にあえぐ者には、家や仕事をシェアーすることにしか希望はないと確信している。
本年、私は文章を書く仕事を核にして、新たな映像系の仕事などを含めて様々な仕事を行った。これは才能のマルチな展開などではなくワークシェアリングの方向性の生き方だと自分では認識している。そこでお世話になった各分野の方々に感謝の言葉を送りたい。ありがとうございました、また来年も面白く労働しましょう。


こうした思いとともに、2008年歳末の築地での群衆が醸し出すほのぼのとした光を、私はここにメモしておきたい。