匿名性を宜保さんと一緒に(無名性について)

匿名性ということを違ったラインで考えたい。
匿名性の対義語はなんだろうか。
「無名性」ということではないだろうか。
たとえば、こんな無名性である。


「ぼくの内部には どうしても
なにかしら欠落した痛みがあり
それはいつもぼくを 奇妙に
苛立たせる。
ひもじいほどに敬虔な青春の最初のときに
既に死の一瞥とむきあってしまった
ぼくの無名。」


長田弘の「パッション」という詩の一節である。1965年に出版された詩集「われら新鮮な旅人」からとっている。長田は60年代後半から70年代初頭、詩や詩論で「無名性」ということについて意識的に触れていた。


それが詩であれ文学であれ会話であれ何でもいいのだが、1970年代あたりまでの私たちの20世紀の言葉は、戦争に大きな影響を与えられて作られた言葉だった。そのひとつに「無名性」があった。これはまさに戦争の死者の「一瞥とむきあってしまった」ために生まれた自分の精神状態を示す言葉だった。


動員体制や原爆、収容所の体験は、私たちに個人の死ではなく大量の無名の死を味あわせた。戦争を実際に体験していない私のような世代でも容易に遭遇できる、戦争の体験からこぼれる何かが濃厚にたちこめている場所が、この日本には70年代あたりまでにはいくつかあったのだ。そこに行くと、これから個性を謳歌しようとする若い私たちを圧しつぶす無名の死の影が確かにあった。


やはりデータベースの問題が大きいのだと思うが、ある時代までの戦争の大量死には無名の影がつきまとい、その経験は私たちの固有性を常に犯していた。戦後から70年代くらいまでに青春を送った者には、この無名性の経験があったはずだ。


今ではもう信じられないかもしれないが、漫画も小説も映画も芝居も恋もそれらは多数の無名の死者とともにあった。私が10代のころは、近代がどうのポストモダンがどうのといいつのる人はまったくいなかったので、漫画も小説も、作者が死者とどんな回路をもっているのか、どんな責任感を死者に対してもっているのかという基準を感じたり考えたりすることが、読書の仕方のひとつとしてしっかりと存在していた。今から思えば無気味だが、これは普通の読書態度であり、今では誰もが口にしない読書の仕方であった。


どうして今の批評家はこのことをいわないのかが、私にはよくわからないし、こんなことを書いていると自分が宜保愛子になったようで、気味が悪くなるのだが、でも繰り返してしまうが、芸能や表現が死者と強い回路をもっていることは必須条件であり、実際1940年代から70年代あたりまでの日本の文学や映画、漫画には第二次世界大戦の死者との対話から生まれたような作品が多かったのである。


思い出話はこのへんでやめておこう。とにかく今だ。私たちは無名性の経験を失った。なぜか私たちは匿名性という経験の中にいる。


無名性が大量の死者との出会いの経験であるなら、匿名性は大量の群集たちとい続ける都市から浮かびあがる経験だろうか。



しかし、無性性を失っているから匿名性がだめだといっているのではない。いいたいのは固有性を失う方向には死の問題が必ずあるということ。私たちは前とは違った死者との交信を始めているのだと思う。またまた自分が宜保愛子になったようで情けないのだが、生きる者は死者との交信をしながら生き続けなければならないのだとは繰り返しいっておきたい。


私たちのネットの時代は、データベース化された戦争の死者の時代ともいえる。死者との交信の変化の仕方で言語表現が変化しているのだとしたら、現在のBBSでの言葉の荒れは、死者のあり方が問題なのだ。


匿名性の問題を定まったレールの言葉で考えたくない。宜保さんのラインでいくか。ああ、俺はまた何を独りで考えているのか。


(これはメモだけにとどめておくが、BLOGERの自己の「キャラクター化」と、戦争の死者の「英霊化」はパラレルな現象として扱えられると思う)