『サイコロジカル・ボディ・ブルース解凍』

白夜書房のKさんより、菊池成孔の『サイコロジカル・ボディ・ブルース解凍』を献本していただく。ありがとうございます、Kさん。
格闘技をめぐる本である。都市文化にまみれきった格闘技をめぐる本。

白夜書房のKさんは人を大事にする人だから、菊池氏も著者として大事にされただろうな。と、ことさら「大事」についていうのは、実は私、スポーツ批評の虫明亜呂無のファンだからである。虫明は本当に独特な肉体、性への考えをもっている人で、それによって文章がものすごく味わい深い。さらにそれを重ねて味わい深いものにしている要素がある。それは虫明のことを理解していない、大事にしていない編集者たちの雰囲気がテクストの背後にたちこめているところだ。

つい最近までスポーツのことを独自の言葉で書いたりする物書き、その文章を深く堪能する読者は実に少なかった。その少数の人々の結びつきを真剣に考える編集者など皆無であったのだ。その不理解に包まれて虫明のテクストはある。

1991年に玉木正之によって編まれた『虫明亜呂無の本』のシリーズ3冊、理解ある人によって編まれた筑摩書房の本に入っている文章でさえ、その雰囲気は拭いきれていない。

スポーツや格闘技の文章を読んでいると、いつも筆者が大事にされているのかが気になってしまうのは、虫明のテクストがいつも頭に浮かんでしまうからだ。

サイコロジカル・ボディ・ブルース解凍』一気に読んでしまった。格闘技の描写よりは、車の助手席、相撲の枡席、PRIDEの観客席の甘美を描くところが秀逸だ。
国技館に行くために相撲フリークの女性と地下鉄に乗った菊池が、突然幸福感に満たされ、「はしゃいで構わないなら、僕は電車の窓に両手を貼りつけて走りいく外景をいちいち指差しては『あれなあに? あれなあに?』と彼女に聞いただろう」というところがあるが、すべての行為、実戦をうばわれた者だけが得られる幼児退行的な幸福が、この書物の観客席には満たされている。