プラハのざわめきと4人の写真家たち


 日本語にすれば「クジラ」という名のカフェがプラハのとある裏通りにある。店内は暗い。濃密な茶色の暗がりだ。古びたソファとテーブル。そこに客は座り飲み物をとり楽しく話をする。
 

 そんな彼等の様子を見ていると、時々、一人また一人、地下室に降りていく者がいる。しばらくすると帰ってきて、また仲間たちの談笑に加わる。なんだろうと思って地下に降りてみると、そこは真っ暗闇。不安になって一歩踏み出すと自動的に灯がついた。すると、自分がたくさんの写真に囲まれているのである。地下にギャラリーをもったカフェなのだ。ここに集まっている客たちは、写真や絵をとても愛しているのだろう。店内のざわめきが違って聞こえてきたちょうどその頃、4人の写真家たちがやってきた。
 

 イヴァン・ピンカヴァ。
http://www.ivanpinkava.com/presentation/showcase.html
異形の者たちの典雅な肖像画を撮影する。実際にプリントを見せてもらったが紙表面の質感を含め、物としての存在感がある。チェコ写真界の技術力の高さを思いしらされた。実際の彼は柔らかい物腰に、時にキラリと鋭い眼を光らせる。
 

 ヴァーツラフ・イラーセク。
http://www.vjirasek.com/
街角にぽつんと立っている少年のような人だった。イルミネーションのような光をとり続けたものや工場の廃虚など、いくつかのシリーズをもっているが、印象的だったのは日本の屏風画のような形で樹木や花を写しとったもの。西欧の繊細な人が発見する日本の美は、私たちをいつでもうっとりさせる。仕事で撮影した建築写真なども見たが、やはりその技術力に感服する。
 

 エヴジェン・ソベック。
http://www.evzensobek.com/sobek/home.html
さまざまな国々を旅しスタイリッシュにその風景や事件を切りとってくる写真家。ロマたちの祭りや奇蹟を待つ人々などを対象にした時に噴出する熱狂性が魅力的。なかなかの色男で、旅する彼をドキュメントすれば泣けるロードムービーができそうである。
 

 ヴェロニカ・ザプレタロヴァー。
http://www.zapletalova.com/index.html
工場を撮影し、配管されたパイプだけに手書きで色をつけるシリーズなどがある。インスタレーションも行う。美意識や技術力を押し出すよりは柔らかな発想で人を自由にさせる作風、人への接し方もそんな柔らかさをもった人だった。
 

 4人の写真家たちはあいさつもそこそこに話をしだす。楽し気な仲間たちの会話。ピンカヴァが自分の写真集を広げる。言葉が熱を帯びてきた…。
 

 私たちはこの4人の写真家たちを含むプラハ表現者たちをこれから紹介していくわけだが(これはある雑誌のプラハ特集のためのテクストなのです)、みな一様によく話をする。私はすぐれた芸術作品は一人の天才作家によって造り出されるのではなく、都市のざわめきの中から生まれると信ずる者だ。パリのヌーベルバーグ、トーキョーの60年代アングラ文化、ニューヨークのストリート系も、みな仲間たちの批判と賞賛、嫉妬と羨望が渦巻く会話があって生まれた。ダイナミックな交流がある都市に素晴らしい文化は起こるのだ。プラハには、確実にそのざわめきがある。


チェコの写真界なんてそんなに広くないので、だいたい顔を知っている。またプラハも小さな都市なので、展覧会や道で偶然会うことがよくある。そんな時はこうしたカフェで話をするね」
 とピンカヴァがいう。するとイラーセクが「泣きたいくらいすごい批判をされたりすることもあるんだよ」といって思い出し笑いをする。それをきっかけに写真家たちの話が再開する。カフェのざわめきが、その暗がりの色合いのように濃密なものになっていく。
(この原稿は、雑誌『TITLE』2003年3月号<文藝春秋>で発表した)