「EASTERN CABARET WORLD」最終日


最終日である。
今日は、早坂紗知のミンガ。
民族音楽とジャズとの出会いを意識した音。


クレズマーは中央ヨーロッパや東ヨーロッパあたりから発生したユダヤ音楽で、このあたりのアラブ音楽、ロマの音楽その他、いろいろな音楽をミックスしたものだ。20世紀に入ってアメリカに移住したユダヤ人からジャズとの結合も行われた。


ミンガはクレズマー音楽を演奏するバンドではないが、民族音楽と20世紀の大衆音楽、女性の管楽器ということをポイントに選びだされたのだろう。非常に単純な選びなのだが、どこか鋭利な音楽観を感じさせ、今日も巻上公一は構成者として的確な仕事をした。


TRABANDは、最終ステージということで、これまでの演奏では見せなかったバリエーションを見せてくれた。チューバだけがリズムを刻むアカペラ。会場を歩きまわる演奏(演奏しながら歩きまわれることは、クレズマー音楽の大きな特徴かもしれない。ロックバンドでありつつ、歩きまわれることはこのバンドの個性だ)など。


今日気づいたことなのだが、マーチのような感じがする楽曲があるせいだろうか、兵隊の行進の身振りをボーカリストがするせいだろうか、いや音楽の要所要所に「何か国民という者の悲哀」を感じさせる音の質感がある。トルコの軍楽隊の音楽的な影響、この地域の国民国家としての形成の熾烈さが背景になっているのだろうか。


最後のアカペラの曲の歌詞を、一緒にいったチェコ人の友人に聞いてみると「いろいろと人生には目的がある。しかし人生はつまらないものだ」と唄っていたらしい。


今日の観客には、アヴァンギャルドな老人が何人かいた。危険なジジイがいたし、美学校系も動きだした感じで、やっと東京のアンダーグラウンドが動きだしたかなと思ったところで、ショーはお終い。


TRABANDとの6日間は素晴らしい6日間だった。クレズマー音楽はどこか「だまし」や「皮肉」を感じさせるものだが、TRABANDは「素直な若々しいバンド」だった。この実直な表現は、日本の観客たちの心をしっかりと揺さぶり、確実につかまえたと思う。彼等が言語は伝わっていないのに、あれだけストレートに表現したこと。そのことは必ずや、何らかの形で観客たちは返していくだろう。そのように人はできているのだから。


TRABANDのライブを撮影したDVDの製作、再度の来日などの予定もあることも聞いた。実現を切に願う。


一応、私は内山田洋とクールファイブ加藤和彦などが入った自家製CD-Rをプレゼントしたので、将来、プラハのカフェで「逢わずに愛して」などを彼等とアカペラで唄う予定である。


彼等のtokyo滞在記
http://yopla.freemusic.cz/current_Tokyo.htm