展覧会場に泊る

BANKart1929からプレスリリースが来ていた。
読んでいたら、横浜トリエンナーレの期間中、全館24時間使えるようになるらしい(10/28〜12/18)。ということは「泊れる」のだ。
横浜トリエンナーレ認定・ボランティア、作家アシスタントが原則」と書いてあったり、「宿泊」という言葉はまったくなく、「夜は『くつろぎの場所として』開放する」という言葉があるだけだが、これはやはり「泊れる」のだ。


なんだか、自分のまわりで「新たな宿泊空間」あるいは、その読み直しという事態が動いている。


BANKart1929のこの企画のテーマとして、「ホスピタリティー(もてなしのあるくつろげる空間)」という言葉をあげている。
もてなしの究極は泊れる空間づくりか。


そういえば、最近、新聞で、水族館に女性たちだけが宿泊できる企画について読んだ。実に平凡な記事だったが、頭の中では夜の水族館の水槽の前に眠る100人のローリー・アンダーソンがイメージされていた。


あっ、思い出した。1970年代後半。ゴルフを営業活動で使う企業が、若い私たちを雇って、ゴルフ場の予約を取らせるアルバイトがあった。丸の内などにあるゴルフのカントリークラブの事務所前に前夜から並ぶのだ。冬などは寝袋に入って眠りながら待つ。路上で眠るだけで6000円くらいもらえたのだから、当時は相当いいバイトだった。年とった女性たちの集団もいて、70年代後半当時のおばさんは寝袋というものに接する習慣がなかった人が多かったのだろう、普通の布団をもってきてアスファルトの道にひいて眠っていた。丸の内の路上、普通に布団の中で眠る10数人のおばさんたち。
それを見て若かった私は、蜷川幸雄清水邦夫らがやった櫻社の演劇のタイトル『泣かないのか?泣かないのか一九七三年のために?』『ぼくらが非情の大河をくだる時』などの言葉をつぶやいた。ということを今、思い出したのだ。